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最高裁判所第一小法廷 平成4年(行ツ)140号 判決 1996年2月22日

上告人

鄭宏溶

右訴訟代理人弁護士

山口広

鬼束忠則

東澤靖

被上告人

法務大臣

長尾立子

右代表者法務大臣

長尾立子

右両名指定代理人

石川利夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

一  上告代理人山口広、同鬼束忠則、同東澤靖の上告理由書(一)記載の上告理由第一章第一について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、上告人は、本件処分当時、出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第七九号による改正前のもの)四条一項一六号、同法施行規則(平成二年法務省令第一五号による改正前のもの)二条三号に基づく在留資格をもって本邦に在留する者に当たるというべきである。右のような在留資格で本邦に在留する外国人については、当然に一定期間本邦に在留する権利が保障されているものということはできないから、その在留期間の更新申請に対し、在留期間を一年と指定してこれを許可した本件処分が、上告人の権利ないし法律上保護された利益を侵害するものであると解することはできない。したがって、本件処分の取消しを求める訴えは、その利益を欠くから、これを不適法として却下すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

二  同第一章第四について

在留期間を三年と指定して在留期間の更新を許可することを求める訴えを不適法として却下すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

三  上告代理人山口広、同鬼束忠則、同東澤靖の上告理由書(一)記載のその余の上告理由及び上告理由書(二)記載の上告理由について

我が国に在留する外国人について、外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの。以下同じ。)一四条は、同法一条の「本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資する」という目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として、指紋押なつ制度を採用したものであって、その立法目的には十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定することができる。そして、上告人が指紋押なつを拒否した昭和六〇年六月二七日当時における制度の内容は、押なつ義務が五年に一度で、押なつ対象指紋も一指のみであり、加えて、その強制も罰則による間接強制にとどまるものであって、精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえず、方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであったと認められる。したがって、外国人登録法一四条は、憲法一三条に違反するものではない。

また、在留外国人を対象とする指紋押なつ制度には、右のような目的の合理性、必要性、相当性が認められ、戸籍制度のない外国人については、日本人とは社会的事実関係上の差異があって、その取扱いに差異を設けることには合理的根拠があるので、外国人登録法一四条は、憲法一四条に違反するものでもない。

以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和四〇年(あ)第一一八七号同四四年一二月二四日判決・刑集二三巻一二号一六二五頁、同五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁、同二九年(あ)第二七七七号同三一年一二月二六日判決・刑集一〇巻一二号一七六九頁、同二六年(あ)第三九一一号同三〇年一二月一四日判決・刑集九巻一三号二七五六頁、同三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日判決・刑集一八巻九号五七九頁)の趣旨に徴して明らかであり(最高裁平成二年(あ)第八四八号同七年一二月一五日第三小法廷判決参照)、右に説示したところによれば、外国人登録法一四条が、市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号)七条、二六条に違反すると解することもできない。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。

そして、原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論のその余の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。

論旨はいずれも採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高橋久子 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)

上告代理人山口広、同鬼束忠則、同東澤靖の上告理由

○ 上告理由書(一)記載の上告理由

原判決は以下の理由により破棄を免れない。

第一章 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

第一 上告人の訴えの利益を否定した原判決の法令適用の誤り

一 原判決は、上告人には本件処分を取消すにつき訴えの利益がないとした。

しかしながら、右判断は、以下に述べるとおり法令の解釈を明かに誤ったものである。

二 行訴法九条の解釈について

1 一審判決は、「処分の取消しを求める訴えは、当該処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するものにかぎり提起することができるところ(行政事件訴訟法九条)、当該処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するものとは、当該処分の法的効果として、自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害される恐れのある者をいう」とし、原判決も同様の判断をしている。

2 しかしながらこのような考え方は、侵害されたと主張する利益が実体法によって保護されていることを必要とするから、行政を巡る利益状況が複雑多様となり、裁判的保護を必要とする新しい利益が次々と出現する現代社会においては、立法がこれに追い着かず、人民の権利救済に欠けると言わなければならない。

さらに、このような考え方は、実体法の解釈において、往々にして―原判決がまさに陥っているように―実体法の存立を支えている立法事実や社会的実態を考慮せず、法令の文言に囚われた極めて形式的な解釈に陥ってしまうという結果をもたらす。

従って、人民の権利救済を図り、真に実体法の予定する解釈をなしうるためには、当該処分の取消しを求めるにつき必要とされる法律上の利益には、処分の違法を争うものがその効力を否認するにつき実質的な利益を有するかぎりは、それが法律の保護する利益でだけでなく、事実上の利益をも含むと解さなければならない。

すなわち、「現行行政訴訟制度のもとにおいては違法な行政処分に対して出訴しえるものは、必ずしも法的権利ないし利益を有するものに限られることなく事実上の利益を有するにすぎないものであっても、その利益が一般抽象的なものではなく具体的な個人的利益であり、しかも当該違法処分により直接且つ重大な損害を蒙った場合には、その者に対し同処分の取消しを訴求する原告適格を認めるのを相当とする」と言うべきである(最判三七・一・一九民集一六―一―五七、池田裁判官の意見)。

とりわけ、上告人のように参政権を持たず、従って国政等へ参加して、実体法の改変や、行政の法適合性の確保などを求めることを制度的に保障されていない者に対する処分の場合は、取消訴訟の権利救済機能は、他の場合に比し、より拡大されなければならないのである。

しかるに原判決は、後述のとおり、訴えの利益を狭く解したものであって、行訴法九条の解釈を誤ったものと言わなければならない。

三 原判決が、本件処分は上告人の法的利益を侵害するものではないとした法令解釈の誤り

1 原判決は、上告人の在留期間更新許可申請に対しては入管法二一条三項は適用されず、必ず更新されなければならず、あるいは、入管法四条一項一六号同施行規則二条二号(以下、四―一―一六―二と言う)該当者として、又はこれに準じて、羈束的に期間三年の在留資格が認められなければならない、とする上告人の主張は失当あり、又、法務大臣の入管法二一条三項に基づく在留期間更新許可処分は羈束裁量行為ではない、とした。

しかしながら、右解釈は以下の通り誤りである。

2 上告人の法的利益の存在

(一) 上告人は入管法の適用を受けず、日本に在留する権利を有する。

上告人は本来入管法上の在留資格を有することなく日本に在留する権利=法的地位を有していると言わなければならない。その理由は以下のとおりである。

(1) 上告人の在留の経過と日本政府の責任

既に、原審でも述べたとおり、上告人の在留権の根拠は、その在留が日本政府の戦前における朝鮮半島に対する植民地支配に起因するものである以上、日本政府は上告人の日本在留を無条件で認めるべき義務を負っている、という点にある。この点は是非再度確認しておかなければならないのである。在日韓国・朝鮮人に関する在留上の問題はすべてこの視点から出発しなければならない。

(2) 占領期における日本政府の対在日韓国・朝鮮人政策。

① 一九四五年八月一五日から講和条約までの間における日本政府の対在日韓国・朝鮮人政策は、一方で伝統的国際法理論によって、講和条約発効までは在日韓国・朝鮮人を日本国籍保持者としつつ、他方において彼らを「外国人とみなし」て外国人管理法制に組み込むものであった。

日本政府は、旧日本領海外諸地域の運命、帰属を規定したポツダム宣言を受諾したものの、それらの領域、人民の帰属は講和条約によるという伝統的国際法理論を一貫して保持し、講和条約前の在日韓国・朝鮮人の国籍変更を認めなかった。

この主張は、南北朝鮮が独立してそれぞれ連合諸国から承認された後には、あまりにも現実性を欠く主張であったが、日本政府は、対連合国関係における自己の立場を少しでも強化するため、最後まで右のフィクションに固執したのである。

講和条約までは国際的には朝鮮の地位が不変であるとの主張は、また、在日韓国・朝鮮人が外国人として日本の裁判管轄権から免除され、また食料配給を日本国民以上に割当てなければならないという事態を回避する上でも、日本政府にとって重要な意味を持っていたのである。こうして、在日韓国・朝鮮人は、基本的には日本国籍保持者として様々な法律関係のもとにおかれることとなった。ただ、日本政府は、彼らの参政権を否認した。参政権は国籍の諸機能のうち最も重要なものであるが、これを否認しつつ、一方で在日韓国・朝鮮人が日本国民であるとすることは、正に自己撞着以外の何物でもなかったのである。

② しかしながら、在日韓国・朝鮮人を日本国民とする日本政府は、一方で彼らを主に公安問題、治安問題の対象として扱いその管理強化に力を注いだ。

すなわち、日本政府は一九四七年五月に外国人登録令を制定したが、これは最初から在日韓国・朝鮮人の取締りを目的として立案されたものであった。しかし、それを全面に掲げた場合、在日韓国・朝鮮人の反発から国会通過が困難なこと、及びGHQの承認を得ることができないことから、外国人一般の登録令という形をとったのである。

この外国人登録令が在日韓国・朝鮮人に対する取締りを目的としていたことは、その条文上に①外国人の入国を原則的に禁止しており、個人の出入国を管理することを本来目的としていないこと(外国人登録令三条)、②「朝鮮人を」「この勅令について」「外国人とみなし」ていること(同一一条)、③在留外国人(これは外国人とみなされる在日韓国・朝鮮人が大多数を占める)に対し、登録に関する様々な義務を課し、義務違反者には刑罰を科すほか、最終的に退去強制しえる体制をとっていること(同七、一〇、一二、一三、一四条)等に端的に示されている。

③ このように、日本政府は、一方で在日韓国・朝鮮人を日本国籍を有するものとしながら、他方において、外国人登録令で在日韓国・朝鮮人を極めて便宜的に「外国人とみなす」ことにより、彼らの在留権を否認し、国籍を有することの核心的な権利を否認することによって、彼らの治安管理の対象としたのである。

このことは言い替えれば、当時の日本政府がその意図する政策の実現のために、在日韓国・朝鮮人の在留権を極めて恣意的に決定していたことを示すものである。

その結果、占領下の日本では通常時と異なり、日本国民が原則的に外国人より不利な待遇を受けるものであったため、在日韓国・朝鮮人はまず外国人としての利益から排除され、さらに国民としての利益からすら排除されるという、二重の不利益な地位におかれたのである。

(3) 入管令制定経緯、目的、全体構造

① 一九五一年一〇月に制定された入管令は、日本に入国し、日本での在留が一時的な外国人を対象としており、同令制定時に既に日本に在留し、その生活の本拠を日本に持つものを対象とはしていなかった。

すなわち、同令は日本が講和により国際社会に復帰するのに備え、諸外国との物的人的交流を規制する出入国管理の一般法として立案され、終始一貫、在日韓国・朝鮮人に対する法ではなく、あくまで日本と諸外国との人の移動、それに随伴する在留管理の一般法という指導理念に導かれて制定されたものであった。

このことは、「この政令は、本邦に入国し、又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理について規定することを目的とする」(同一条)という目的条項に端的に示されているほか、「外国人は有効な旅券又は乗員手帳を所持しなければ本邦に入ってはならない」(同三条)をはじめとする詳細な外国人の入国、上陸規定(同三―一八条)、在留の原則的要件としての旅券又は上陸許可書の保持(同二三条)、日本外からの入国を前提とする在留資格、在留期間の決定と、これを柱とする外国人の在留管理制度(同九、一九―二六条)等、入管令全体の規定に明瞭に示されている。

② さらに、この入管令が在日韓国・朝鮮人を適用の対象としていなかったことは、同令制定過程において、日本政府が在日韓国・朝鮮人を「外国人とみなし」て同令を適用しようとしたのに対し、占領軍当局が入管令のさきに述べた性格を理由にこれを許さなかったことからも明らかである。

③ またさらに、入管令が諸外国との人的交流とそれに随伴する在留を管理する一般法であればこそ、日本と異なり出生地主義国籍法を持ち、典型的な移民受入れ国である米国の移民法をモデルにした入管令の立案、制定が可能だったのである。

換言すれば、入管令は、その制定当時に既に日本国内に存在していながらも、ただ日本の父系血統主義国籍法ゆえに、国籍上は「外国人」として取り扱われるにすぎない在日韓国・朝鮮人とは、全く異なる実体―適用対象―を予定した法として制定されたのである。

④ このように、入管令の予定する適用対象と在日韓国・朝鮮人とは一般対特殊という関係ではなく、全く性質を異にする二つの相異なる実体であった。日本政府もそれを承知していたからこそ、在日韓国・朝鮮人に対して一律に永住権を認める立法作業をすすめていたのである。

(4) 四三八号通達の違憲性

① 以上に述べたとおり、入管令は制定当時日本国籍を有するとされていた在日韓国・朝鮮人には適用を予定されていなかった。

ところが、講和条約の発効を九日後に控えた一九五二年四月一九日、日本政府は民事甲四三八号民事局長通達(以下「四三八通達」という)を発し、「朝鮮人及び台湾人は内地に在住しているものを含めてすべて日本国籍を喪失する」とし、在日韓国・朝鮮人に対し、入管令の適用があるとした。

右通達の違憲性については既に第一審において詳細に述べたとおりであり(準備書面(六)―一―2―(三))、右通達は違憲無効のものと言わざるをえない。

そうであれば、右通達の存在にかかわらず、右通達当時日本国籍を有するとされていた在日韓国・朝鮮人にたいしては入管令は適用されないというべきである。

② これに対し第一審判決は、「日本は、日本国との平和条約二条(a)項により、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したものであり、また同条約二一条により、朝鮮はその利益を受けるものとされているのであるから、朝鮮人は、同条約の直接の効果として、その発効に伴い、当然日本国籍を喪失したものと解すべきである。四三八号通達は単にその旨を明らかにしたものであり、同通達の効力として朝鮮人の日本人国籍喪失があるものではない。」と述べ、上告人の前記主張は採用できないと述べる(一審判決、第四―二―一)。

③ しかしながら、右判断は誤りである。

すなわち、右講和条約は日本の朝鮮独立承認義務を含むのみで、なんら日本と朝鮮間の国籍条項を含んでいないのである。

右条約に国籍条項が含まれていなかったことは、当時条約起草の段階で米国側から情報を得ていた日本政府の熟知するところであった。また当時の多数説も、朝鮮が当事国になっていない右条約によって国籍問題を解決することには極めて慎重であったのである。それにもかかわらず、日本政府は国籍条項の存在を一方的に疑制して、日本の国内法上の基準により勝手に「朝鮮に属すべき人」の範囲を確定したのである。

第一審判決は、「朝鮮人は、同条約の直接の効果として、その発効に伴い、当然日本国籍を喪失したものと解すべきである。」とするが、これが右条約の解釈として到底成り立ちえないのは明らかである。

④ 従って、四三八通達による在日韓国・朝鮮人の日本国籍喪失の措置は憲法一〇条に違反する違憲無効なものである。

(5) 小結

以上の観点からすれば、上告人のごとき在日韓国・朝鮮人には、本来的には入管令及びこれを引き継ぐ入管法の適用はなく、上告人は入管法上の在留資格を有することなく日本に在留する権利を有するとされなければならない。

原判決が、右のような上告人の在留権を認めず、その法的利益性を認めなかったのは、法令の解釈を誤ったものである。

(二) 上告人は少なくとも期間三年の在留権を有する。

(1) 法律一二六号二条六項(以下「法一二六―二―六」と言う)該当性

① 第一審判決は、法一二六―二―六該当者は「日本国との平和条約の規定に基づき同条約の最初の効力発生の日(昭和二七年四月二八日)において日本の国籍を離脱するもので、昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日(昭和二七年四月二八日)まで引き続き本邦に在留するもの」をいうものであるから、原告の父である鄭泰俊はこれに該当しない」と述べ、更に、法一二六―二―六は、入管法一九条一項、二二条の二第一項の例外措置であるから、厳格に解釈すべきであり、その要件に該当しないものについて、法一二六―二―六該当者に準じてこれと同様の取扱いをすべきものと解することはできないから、原告について四―一―一六―二該当者として、又はこれに準じて、期間三年の在留資格が認められると解することもできない、とし(第一審判決、第一―二―1―(一))、原判決も同様の判断をした。

② しかしながら第一審判決及び原判決は、以下に述べるとおり、法令の解釈を誤ったものである。

a 第一審判決は、鄭泰俊は法一二六―二―六に該当しないとするが、これは誤りである。

即ち、朝鮮半島は、日本政府の解釈によれば、日本国との平和条約の発効の日まで、国際法上日本の領土と考えていたのであるから、たとえ鄭泰俊が一時朝鮮半島に帰っていたとしても、右平和条約発効の日以前に日本に来たのであるから、鄭泰俊の右移動は単に日本国内を移動していたに過ぎない。

従って、鄭泰俊は「昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日(昭和二七年四月二八日)まで引き続き本邦に在留」していた者ということができるのである。

b ところで、第一審判決は「法一二六―二―六の規定は、同法一条により入管令の改正に伴う経過規定であって、入管令の規定と一体をなすものと言いえるところ、入管令はその二条一号に『本法』の定義を置いているが、それによれば、朝鮮半島がその『本法』に含まれないことは明らかである。」と述べる(第一―二―1―(二))。

しかし、入管令は、講和条約の発効を控えて同条約に定められた領土主権の範囲(朝鮮半島には日本の領土主権が及ばない)を前提にしているのに対し、法一二六―二―六の定めは、右講和条約の発効以前の領土を前提とした規定であることは明らかである。なぜなら、同規定は右講和条約の発効以前の時期の領土間の移動について定めたものであるからである。

従って、右規定における『本法』の意義を入管令における定義と同旨と解するのは誤りである。日本政府は当時、講和条約発効以前は朝鮮半島は日本の領土であるとしていたのであるから、法一二六―二―六にいう『本法』は朝鮮半島を含むと解さざるをえない。

そうであれば、原告の父は法一二六―二―六にいう「本法」内を移動していたにすぎず、法一二六―二―六にまさに該当すると言わなければならない。

c 仮りに、右「本邦」を右のように解釈できないとしても、日本政府が右講和条約発効の日まで朝鮮半島を日本の領土であるという立場をとっていたことは明らかであるから、法一二六―二―六の適用場面においてだけ、朝鮮人排除という政策目的を達成するために、まさに手の平を返したように、朝鮮半島を日本ではないとするのは許されないと言わなければならない。

日本政府は一方で講和条約発効までは戦争に伴う領土変更は未確定であり、朝鮮人は依然日本国民たる地位にあるとの立場をとりつつ、他方で、日本と旧植民地地域との往来を出国、入国として取締ったのである。これは先に述べたとおり、日本政府が在日韓国・朝鮮人を処遇する際に自己の便宜に従って、あるときは日本国民とみなし、他の場合は外国人とみなすという使いわけを最大限に駆使し、彼らを実質的無権利者の地位に陥れた措置であった。

第一審判決及び原判決は右のような日本政府の不当な在日韓国・朝鮮人政策には全く目を向けることをせず、法一二六―二―六の解釈を入管法の例外措置として厳格に行わなければならないとした点で重大な誤りをしている。

d 第一審判決は、朝鮮半島に一時戻ったかどうかという偶然の事情によって在留権という重大な事柄に差異を設ける法一二六―二―六の取扱いは極めて不合理である、との上告人の主張に対して、それは「立法政策の問題」とした。

だが、同判決も認めるように上告人の父は、戦前日本政府により徴兵を受けるために朝鮮半島へ戻ることを強制されたのである。徴兵がなければ上告人の父は、朝鮮半島に戻ることはなかったのである。日本政府の強制により日本を離れることを余儀なくされた上告人の父のような事情のあるものについて、「昭和二〇年九月以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの」に該当しないとするのであれば、その解釈が不当、不合理であることは明らかであろう。それは単に「立法政策の問題」として片付けられるものではない。ことは在留権にかかわる重大な問題である。上告人の父の右のような事情は当然にこれを法一二六―二―六の解釈に正当に反映させるべきである。

そのような考慮をせず、「立法政策の問題」などと切り捨てる第一審判決は、在日韓国・朝鮮人にとっての在留権の重要性を不当に軽視したものである。

(2) 小結

以上のように、第一審及び原判決のごとく、鄭泰俊のような経過を持って日本に在留するに至ったものを法一二六―二―六該当者と厳格に区別して法の適用関係を律するのは誤りである。鄭泰俊の在留権は法一二六―二―六該当者として、少なくともこれに準じてこれと同様に、無条件に認められなければならない。そして、上告人については、四―一―一六―二該当者として、少なくともこれに準じてこれと同(三)羈束裁量論に基づく上告人の在留権

① 上告人は、第一審及び原審において、上告人の在留期間更新許可申請について入管法二一条三項の適用が仮りに認められるとしても、上告人の如き立場にある者から同条一項に基づく在留期間更新許可申請があった場合、これに対する法務大臣の同条三項の更新許可処分は覊束裁量行為であって、法務大臣は、原則として申請の通りの更新許可処分をしなければならず、又、処分に当って、上告人の在留資格該当性や、在留状況などを他の外国人と同様に考慮することは原則として許されないものであるから、上告人は申請のとおりの許可処分を求める地位にあり、本件処分は上告人の右地位に基づく利益を侵害した、と主張した。

様に覊束的に期間三年の在留権が認められたのである。

(三) 羈束裁量論に基づく上告人の在留権

① 上告人は、第一審及び原審において、上告人の在留期間更新許可申請について入管法二一条三項の適用が仮りに認められるとしても、上告人の如き立場にある者から同条一項に基づく在留期間更新許可申請があった場合、これに対する法務大臣の同条三項の更新許可処分は覊束裁量行為であって、法務大臣は、原則として申請の通りの更新許可処分をしなければならず、又、処分に当って、上告人の在留資格該当性や、在留状況などを他の外国人と同様に考慮することは原則として許されないものであるから、上告人は申請のとおりの許可処分を求める地位にあり、本件処分は上告人の右地位に基づく利益を侵害した、と主張した。

② 第一審及び原審の判断とその誤り

これに対して、第一審及び原判決は、およそ次のような理由を上げ、上告人の如き立場のものからの在留期間更新許可申請に対しての法務大臣は処分をするにあたってその裁量権限が制約されることはないとした。

即ち、その理由とするところは、

a 第一に国家は外国人を受け入れるかどうか、受け入れるとしてどのような条件を付するかを自由に決定できるというのが国際慣習法上に認められている原則であり、在留期間更新の許可をするかどうかも入国の許否の問題と変わるところはなく、国家の自由な裁量に委ねられているからだとする。

原判決はまずここで決定的な誤りを犯している。即ち、仮りに、外国人の受け入れについて、原判決の言うような国際慣習法が認められたとしても、そこで国家が持つ裁量権限の幅と、在留期間更新許可申請に対する処分における裁量権限の幅は、一般の外国人の場合であっても異なり後者は前者に比べてより狭くなる、ということができる。一端入国をして日本に在住したものは、その在住の内容、期間の長短に応じ日本との繋がりを持つのであるから、そのような外国人の在留期間更新許可申請に対する処分における裁量権限の内容は、入国の場合のそれのように広範なものとはなりえないからである。

まして、入管法が施行されていた当時すでに日本に在留していた在日韓国・朝鮮人で日本に生活の本拠を持つものに対して、一般外国人の入国に際しての入国許可処分における広範な裁量権限と同様の内容を持って、これらの在日韓国・朝鮮人の在留期間更新許可申請に対し処分がなしうると解することはできないのは明らかである。この場合明らかに裁量は制約を受けると言わなければならない。

右のような裁量の制限があることについては日本政府もこれを認めていた。すなわち、一九五四年九月二日の衆議院法務委員会の「外国人の出入国に関する小委員会」において、内田藤雄入国管理局長は「朝鮮とか台湾というのは、従来日本の領土であったと、朝鮮人、台湾人というのは日本人として日本に長く居住するに至った理由等が日本自体がむしろ責任を負わなければならない場合も多々あることは、我々も十分承知しております。従いまして、これらを国際関係の変化に伴いましてただちに他の外国人と同じに取り扱うと言うようなことは、到底なしうべきことではないと考えております。従いまして長く日本に居留しておるものに対しては、その事実を我々は十分考慮しなければな」らない、と答弁しているのである。

日本に生活の本拠を持つ・朝鮮人からの在留期間更新申請に対する入管法二一条三項の処分については法務大臣の裁量権限に当然の制約がある。第一審及び原判決はこの点を看過し、結果法令の解釈を誤った違法がある。

b 第二に、第一審判決は国際人権規約A、B規約の各規定が、国際法上、国家に留保された前記のような、外国人の受け入れ及び在留期間更新許可に関する自由を制限する趣旨であるものとは解されないとする。

しかし、右A規約二条二項及びB規約二条一項は、共に、各規約上の権利が国籍による差別なく保障されることを定め、更にB規約二六条は国籍による差別なく法律による保護を受ける権利及び右差別に対し法律による保護を受ける権利が保障されていることを定めたうえ、B規約一三条は一旦国内に在留を認められた外国人が恣りに国外に追放されない権利を保障しているのである。このように、右各人権規約が一旦入管法国を認められた外国人の在留期間更新許可申請に対して国家がなす処分につき一定の制約を及ぼすものであることは十分に見てとれるのである。そしてこの各規約による制約は、控訴人の如きものに対してはより強く働くと言わなければならない。上告人等の場合、日本との繋がりは他の外国人に比し格段に強いものだからである。

第一審及びこれを是認した原判決が、右各規約が法務大臣の裁量権限になんらの制約をも及ぼさないとしたのは、人権規約の解釈を誤ったものである。

c 第三に、第一審判決は、日韓地位協定等の締結は、同協定等の適用のあるものについてのみ国家の裁量に制約が課されたものであり、上告人には適用されないものであるから、これらの協定等により上告人に対する処分に当って制約が課されたものとは言えないとし、原審も同様の判断をした。

日韓地位協定、並びにこれに基づく日韓地位協定の実施に伴う出入国管理特別法、及び昭和五六年法律第八五号によって、在日韓国人、朝鮮人の多くは、協定永住者又は特例永住者として永住資格を取得し、これらの者の在留については法務大臣が在留期間更新許可の判断に際し在留資格該当性及び在留状況が法務大臣の判断の対象になることはない。そしてこの日韓地位協定の締結に際して当時の石井法務大臣は「終戦前から日本国に在留していた大韓民国国民であっても、終戦後平和条約発効(一九五二年四月二八日)までの期間に一時帰国したことのある者は『日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する協定』第一条の対象とはならないが、これらの人々については、現在までに既に相当長期にわたり本邦に生活の根拠を築いている事情も考慮し、協定発効後はわが国におけるその在留を安定させるため、好意的な取扱をすることとし、本大臣において特別に在留を許可するとともに、更に申請があった場合には、その在留状況等を考慮して可能な限り出入国管理令による永住を許可する方針をとることとした。右にともない前段に該当しない大韓民国国民である戦後入国者についても、平和条約発効日以前から本邦に在留していたことが確証された場合には、情状によりこれに準ずる措置を講ずることにしたい。」と答弁し、日韓地位協定の適用対象以外の者であっても実体上は適用対象者と変わるところがないという認識を示して、これらの在留資格については特別の配慮をすることを明らかにした。これは、上告人のような在留経過と在留の実態を持つものについては、その在留資格の可否に関する法務大臣の判断に一定の制約があることを認めたものということができる。

第一審及び原判決が、日韓地位協定等の締結が上告人の在留期間更新許可申請に対する法務大臣の処分になんらの制約をも及ぼさないとしたのは、以上のような在日韓国人等の在留資格に関する歴史的な認識についての無理解を示すものであるとともに、結果として入管法二一条三項の解釈を誤ったものである。

d 第四に、第一審判決は、単に、当該外国人が定住するということのみをもって、国際法上、国家に留保された外国人の在留期間更新の許否に関する自由が制約を受けるものと解すべき法的根拠を見出すことはできない、とする。

この判決は、まず外国人が日本に定住するに至った経過、定住そのものの事実の重みについて全く理解していない。長期間の在留により、外国人の日本との結び付きは当然強くなるが、この結び付きの強弱が在留期間更新の許否の判断に影響を与えるのは当然であろう。一ケ月間の在留期間のみの外国人旅行者と二〇年間在留している定住外国人とで、在留期間更新の許否の判断にあたって全く同一の基準を適用することは明らかに裁量判断の誤りであることは自明であろう。

第一審判決は、この点の判断を誤り、定住外国人に対する在留期間更新の許否の判断に際しこの定住性を考慮する必要はないとした。

外国人の在留が長期化すればするほど在留期間更新の判断に対し制約が強まるということが言える。そして、日本での在留をいわば強制された在日朝鮮人の場合は右の制約が更に強度になり、裁量に羈束性をもたらしているといわなければならない。定住の有無、その長短、定住の契機等が、在留期間更新の許否に関する法務大臣の判断を制約する法的根拠となるのである。

在日韓国人、朝鮮人のような日本に定住する外国人にとって、日本に在留することは生活全般に渡ってその前提となっており、万一、日本での在留が認められなくなれば、その生存を根底から覆されることになる。このような定住外国人についての在留期間更新の許否の判断において、他の外国人と同一の基準に基づく裁量権を行使することが不当であることは明白である。従って、定住外国人である上告人の在留期間更新許可申請に対しては、申請の通りの在留期間を許可しなければならない。

第一審及びこれを是認した原判決はこの点からも入管法二一条の適用を誤った。

e 第五に、第一審判決は、入管法は日本に上陸し在留する外国人について、その在留資格につき法務省令で定められた在留期間が経過すれば、当然に在留資格を失うこととし、在留期間の更新を希望する外国人に対しては、法務大臣の裁量判断により更新の許可をすることができるとの建前を取る、としている。

しかしながら、右解釈も既に述べたとおり、在日韓国・朝鮮人と一般の外国人との在留の経過やその定住性の差異を全く考慮せず、両者を同列に考えたものであり、到底認容することはできない。

③ 小結

以上のように、法務大臣が広範な裁量権を有する理由として原判決が述べる点は、いずれも入管法二一条三項の解釈を誤ったものである。上告人の如き立場のものから在留期間更新許可申請がなされた場合、法務大臣は原則としてこれを許可しなければならない。その意味で法務大臣の裁量権限は厳しく覊束されているのである。それゆえ、上告人は原則として日本に在留を続けていく法的地位ないしは権利を有しているのである。

3 以上述べてきたとおり、上告人の在留にかかわる法的利益の存在は明らかであり、本件処分は、上告人の右のような法的利益を明らかに侵害するものであった。

第一審判決及びこれを是認した原判決は、上告人のこのような法的利益は存在しないとした点で行訴法九条及び入管法二一条三項の解釈を誤ったものである。そしてこの解釈の誤りは当然判決に影響を及ぼすから、原判決は破棄を免れない。

第二 義務付け訴訟に関する判断の誤り

一 原判決の判断

第一審判決及び原判決は、入管法二一条三項の在留期間更新許可処分は、法務大臣の広範な裁量に委ねられているとして、法務大臣が上告人の本件申請に対して、上告人に在留期間を三年とする在留期間更新許可処分をすべきことについて法律上羈束されていたというためには、法務大臣が右処分をしなかったことが、その法務大臣に委ねられた右裁量権限を明白かつ顕著に逸脱、濫用したものであると認められる特段の事由が存することが必要であるとし、本件処分には右のような事由は存在しないから、本件訴えは義務付け訴訟の要件を欠き不適法であるとした。

二 原判決の判断の誤り

原判決の右判断は、入管法二一条三項の在留期間更新許可処分は法務大臣の広範な裁量権限に委ねられているとした点で同条の解釈の誤りを犯している。

右処分は、既に述べたとおり、上告人の申請に対しては必ず期間三年の在留許可を与えなければならないと言う意味で、羈束裁量行為である。これを否定した原判決は法令の解釈を誤ったと言わなければならない。

なお、本件義務付け訴訟の適法性については、改めて追加主張する。

第三 損害賠償請求についての原判決の誤り

一 原判決の判断

第一審判決及びこれを是認した原判決は、上告人の本件処分の違法性についての主張に対し、およそ以下の理由でこれを斥けた。

第一に、日本政府が、四三八号通達によって在日韓国・朝鮮人の日本国籍を喪失せしめた措置は憲法一〇条に違反しないこと

第二に、上告人の在留期間更新許可申請に対しては入管法二一条三項が適用され、同条項にもとづく処分は上告人の主張するような羈束裁量行為ではなく、法務大臣に広範な裁量権限を与えたものであること

第三に、指紋押捺制度は合憲であり、本件処分に当って、上告人が指紋押捺を拒否したことを考慮したとしても、本件処分につき裁量権の逸脱濫用があったとはいえないこと

第四に、本件処分が、上告人の在留の経過とその意味を全く考慮せず、又、従前三年であった上告人の在留期間が一年とされたことにより、上告人が様々な実生活上の不利益及び重大な精神上の被ることを考慮しないで行なわれたとしても、本件処分は違法とはならないこと

二 原判決の法令解釈の誤り

1 原判決の判断第一の理由について

(一) 第一審及び原判決は、上告人の、日本政府が四三八号通達によって韓国人、朝鮮人の日本国籍を喪失せしめた措置は、憲法一〇条に違反して無効であるから、韓国人、朝鮮人は、少なくとも潜在的には日本国籍を有することになり、外国人を適応対象にする入管令入管法の適応を受けることなく日本に居住しつづける権利を有するもので、このような韓国人の一人である上告人に対して入管法二一条に基づいてされた本件処分は違法である、との主張に対し、およそ次のように述べて、これを斥けた。

即ち、日本は、平和条約二条a項により、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に対する全ての権利、権限及び請求権を放棄したものであり、また、同条約二一条により、朝鮮はその利益を受けるものとされているのであるから、朝鮮人は、同条約の直接の効果として、その発効に伴い、当然日本国籍を喪失したものと解すべきである。四三八号通達は単にその旨を明らかにしたものであり、同通達の効力として朝鮮人の日本国籍喪失があるものではない。上告人の主張は独自の見解であり採用できない、とした。

(二) しかしながら、原判決は同条約の解釈を誤ったものである。

即ち、同条約は確かに日本が朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対する全ての権限を放棄する旨明らかにしたものではあるが、原判決が述べるごとく、同条約の直接の効果として朝鮮人がその日本国移籍を喪失したと解することは到底できないと言わなければならない。

なぜなら、右平和条約が韓国、朝鮮人の国籍を日本法上の戸籍の基準により喪失せしめるという趣旨を含んでいなかったのは明白であった。即ち、日本は、右条約二条a項により、連合国に対し、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に対する全ての権利、権限及び請求権を放棄する義務を負い、また、同条約二一条により、朝鮮に対しても同様の義務を負う。そしてこの、朝鮮人に対してその独立を承認する義務を負うというのは、具体的には、朝鮮人の民族の自決権の行使に対して積極的な干渉を差し控え、民族自決権の国際的効果を承認することを意味する。これを国籍について言えば、朝鮮民族が自民族を主とする国民国家を形成していくうえにおいて、自国民の確定(国籍の確定)は必須の一過程をなすのであるから、日本としては朝鮮の自国民確定を承認し、独立国朝鮮に帰属するとされたものに対しては、そのものに対する朝鮮の対人主権と両立しがたい日本の対人主権の主張を差し控えるべきことを意味する。このように右条約によって、朝鮮の独立を承認するというのは、右の意味を持ち、かつ、これ以上の意味を持つものではない。つまり、右条約は日本と朝鮮の間の国籍問題を解決する趣旨を含まないものである。そして、同条約には日本と朝鮮との国籍条項は存在しないのであるから、日本が四三八号通達をもって国内法上の基準によって、勝手に朝鮮に帰属すべきものの範囲を確定し、日本国籍を喪失せしめることは、なんら右条約に言う朝鮮独立承認義務とは関係ないものである。

(三) 従って、原判決が右条約の効力によって、それまで日本国籍を有していた朝鮮人が当然に右国籍を喪失したとすることは誤りである。原判決は右条約の解釈を明かに誤ったものである。

2 原判決の第二の点については、既に本稿第三において述べたとおりであり、法令の解釈を誤ったものである。

3 第三の点については後述の第二章に詳述する。

4 原判決の第四の点について

(一) 第一審判決及びこれを是認した原判決は、上告人が本件処分に当って、考慮されなかったとして縷々主張する事実は、仮に、これが法務大臣が本件処分を行うについてした裁量判断において、取り上げられなかったとしても、それがため、本件処分の裁量判断が事実上の基礎を欠くことになるとまではいえない、とした。

(二) 上告人が原審において主張した事実は、およそつぎの通りである。

第一に、本件処分は、上告人の父及び上告人が日本に在留するに至った経過、そして、その歴史的意味を全く考慮せずになされたこと、

第二に、上告人は、日本で生まれ、日本で成長し、その全生活の基盤を日本におくものであるにもかかわらず、その在留資格はその父のそれを全面的に受け継ぐものとされ、それ自体不安定なものであるが、本件処分によって、従来三年の在留期間が一年に短縮されることにより重大な不利益を受けることになる。

すなわち、在留期間が短いことを理由に就職に際して不利な地位におかれたり、各種資金の融資を受けられなかったりするなど、未だ日本社会に根深い在日韓国・朝鮮人に対する差別意識に基づく差別的取扱いが、さらに強度となること、

第三に、再入国許可との関係で、一年を超える国外渡航が事実上不可能となることなど、実生活上様々な不利益を受けること、

第四に、今後も日本において、その社会との結び付きの中で将来の生活上及び職業上の計画を有する上告人は、その在留資格が将来剥奪されるのではないかとの不安に曝されることになり、このこと自体上告人の生き方の否定につながるものであり、上告人の如き定住外国人にとって、いわば退去強制に等しい重大な不利益であること、

第五に、本件処分が上告人の指紋押捺拒否行為という政治的、思想的、人格的行為を理由とするものであること、及び、どのような事由によってどのような不利益が課されるかが明らかでないことから、上告人は将来課されるかもしれない不利益を回避するため、本来自由であるべき思想、政治的理念を自ら規制しなければならず、このような事態が憲法上保障された上告人の諸権利を侵害し、上告人に重大な精神的負担及び不利益をもたらすことは明かであること、

等である。

(三) 原判決は、このような本件処分がもたらす重大な不利益について、本件処分時に考慮しなくても、考慮すべき事項を考慮しなかった違法があるとはいえないというのである。そしてその理由とするところは本件処分に関し法務大臣が広範な裁量権を有するからというに尽きる。

原判決の右判断は上告人の在留の実態及び在留資格の重大性について、これを全く考慮しない暴論であり、その判断の理由を具体的に示していない。

三 以上要するに、本件処分に違法はないとする原判決は入管法二三条一項の解釈を誤り、かつ理由不備の違法がある。その詳細は後に追加主張する。

第二章 上告人に課せられた指紋押捺制度は無効である。

第一 指紋押捺制度の違憲性

一 指紋押捺制度に対する原判決の判断

原判決は、上告人に課せられた指紋押捺制度が憲法や国際人権規約B規約の違反するとの上告人の主張に対し、

「ところで、控訴人が指紋押捺拒否行為をした昭和六一年六月六日当時施行されていた外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一四条に基づく指紋押捺制度は、日本に在留する一六歳以上の外国人(一年未満の在留期間の者を除く。)に対し、合理性があったことが肯認され、控訴人主張の制度の運用の実態などを考慮にいれても、同制度が憲法一三条、一四条一項ないし国際人権規約B規約七条、二六条などに違反するものであったとは到底考えられない。」

と判断している。しかしながら、この判決においては、上告人が第一審及び控訴審において詳細に主張した指紋押捺制度の違憲性について、何ら具体的な検討を加えることなしに、漫然と理由を付することなく誤った憲法判断を下している。

このことは、指紋押捺制度の違憲性を支える各種の事実について、控訴審が証拠調べすら実施せずに審理を終結させたことと無縁ではなく、原判決は、まさに結論のための結論に終始しているといっても過言ではない。

二 指紋押捺制度が外国人に与える精神的苦痛

1 指紋押捺がもたらす精神的苦痛に対する原判決の無理解

そもそも原判決が、全く考慮していないのは、指紋押捺制度が日本に在留する外国人、とりわけ在日朝鮮人・韓国人に対して与えてきた精神的苦痛、心理的抵抗感である。指紋押捺は、後に述べるようにそれが個人識別のための手段として用いられ、人間の行動に伴い各所に残留する指紋との照合によりその行動の把握が可能となり、その特性ゆえに一般的に犯罪捜査に用いられているという社会的機能を持ち、社会的な意味付けがなされている。また、指紋押捺の強制に対する心理的抵抗感は、犯罪捜査との関係に対するものであると同時に、指紋が個人識別の最も有効な手段であり、個人についての様々な情報のうち最も価値の高いものの一つとしてプライバシーに属することから生ずるものである。

それゆえ、指紋押捺制度の憲法適合性を論ずるためには、単に指紋を採取するという物理的行為の是非ではなく、その社会的意味付けからもたらされる押捺者の精神的苦痛、心理的抵抗感を前提に、制度の合理性、違憲性が検討されなければならない。

2 犯罪捜査との関係

指紋による識別は、そもそも犯罪捜査の手段として研究開発され、現在も犯罪捜査のために一般的に利用されている。それゆえ、犯罪とは無関係な個人が押捺を求めることは、その個人に犯罪との関係を想起させ、あるいはその指紋が犯罪捜査に用いられるのではないかという不快感、心理的抵抗感を生ぜしめることは容易に想定できることであろう。

加えて本件指紋押捺制度の場合には、後に詳しく述べるように、政府関係者が治安や犯罪防止のために指紋を採取することを再三にわたって言明し、実際にも犯罪捜査の際警察の照会に応じて指紋が捜査機関に送付されていたという運用実態がある。

3 最も重要なプライバシー

いうまでもなく指紋は、「万人不同、終生不変」という性格を持ち、人物の同一性の識別のために最も効果的な手段である。加えて指紋は、人間の生活・行動に伴い、外部へ印象されることから、個々人の指紋を国家が管理することとなれば、個々人の行動をはじめ国家が個々人の生活を管理することが可能となり、個々人の生活史すら国家に委ねかねない重要な鍵となりうる。かかる意味では指紋は、前述のように個人の管理する最も重要な情報の一つなのである。

4 在日朝鮮人・韓国人の置かれた地位

また、前章で述べた在日朝鮮人・韓国人の歴史的地位に照らせば、指紋押捺は控訴人など在日朝鮮人・韓国人に極めて強い屈辱感を与えるものである。在日朝鮮人・韓国人は、自らもしくはその祖先が日本の朝鮮半島侵略、戦争という歴史の中で不本意に日本での居住を強いられ、戦前戦後にわたって日本人と同様の権利を享受できないという制度的・社会的差別を加えられてきた。そのような制度的・社会的差別を放置してきた日本政府に、これまで述べたような指紋押捺を強いられることは、在日朝鮮人・韓国人にとって屈辱以外のなにものでもない。そして、日本人と同様に日本で出生し、成育する中で在日朝鮮人・韓国人の誰もが直面し、一六才にして周囲の日本人とは自分の置かれた法的地位がことなることを痛感させられるのが、指紋押捺義務なのである。

5 指紋押捺拒否行為者の広がり

指紋押捺制度に対するこのような精神的苦痛、心理的抵抗感が現実のものであるからこそ、一九八一年に始まった指紋押捺拒否は、一九八六年九月に全国で一三八〇名に上る拒否者を出すまでに至り、その後も拒否運動が継続している。

また、在日外国人と日常的に顔を併せて指紋を採取すべき立場にある自治体についても、一〇〇〇を超える自治体が指紋押捺制度の抜本的改正を求める決議を行っている。そうした自治体は、「押捺制度は国際人権規約に反するばかりでなく、押捺を拒否した外国人を告発しなければならないなど対応に苦慮している。人権を守る立場の自治体として忍びがたい。押捺制度廃止を含め外国人登録法を改正すべきだ。」(一九八五年四月九日 三鷹市長の法務大臣に対する要請文)との認識で、指紋押捺制度が在日外国人に与える精神的苦痛を指摘しているのである。

6 日韓の外交と法改正の経緯

指紋押捺制度の与える不快感、心理的抵抗感や在日朝鮮人・韓国人の味わう屈辱感が極めて現実的なものであるからこそ、韓国政府は再三にわたって指紋押捺制度の廃止を日本政府に申入れ、日本政府もこれに応じて再三の法改正を行い、法改正の後も韓国政府が指紋押捺制度の廃止を求め続けているのである。そして、口述するように指紋押捺制度は、九〇年の日韓地位協定に関する日韓両政府の協議の中で、その存廃に関する論議が交わされ、日本政府は、本年外国人登録法の改正を実施して、永住者に対する指紋押捺制度の廃止、その余の外国人に対する指紋押捺義務の五年後の全廃に向けた見直し定めるにいたっている。

原判決は、指紋押捺の強制がもたらす以上のような精神的苦痛を看過したまま、誤った憲法判断を導いている。

三 指紋押捺制度の制定経緯及び目的

1 外国人登録法の制定経緯及び目的

指紋押捺制度を含む外国人登録令及び外国人登録法は、まさに在日朝鮮人・韓国人を犯罪者集団あるいは社会の安寧秩序にとっての危険分子とみなして、その治安管理のために制定されたものであった。

すなわち、外登令は、外国人の日本入国を原則として禁じ、連合国の将兵及びその家族を同令の対象から除外していたことから、同令の対象となる者の「その多く」が同令により外国人とみなされていた在日朝鮮人及び台湾人であったこと及びその状況は外登法制定当時に至ってもさほど変化していないことは、第一審判決(第四の三の1―(一)―(2)が認定するところである。

そして、外登令や外登法が制定される前後の日本の状況は、第一審原告準備書面(四)第一の一の2ないし4で指摘したように、GHQと日本政府による在日朝鮮人・韓国人への激しい弾圧とそれに対する抵抗が存在し、当時の日本政府関係者が「いわゆる開放された在留者」「第三国人」に対する取締りを公に言明するというものであった。

さらにこの外登令の制定経緯及び外登法の運用については、捜査関係の文献において以下のようにその真の目的が語られている。

「  第四三講 外国人登録法について

一 制定の経緯

外国人の登録という制度は、国がその国に在留している外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、これによって在留外国人の保護及び監督等について公平妥当な管理を図ることを目的として制定されたものであって、登録の方法や内容等に若干の差異があっても、古くから世界各国において実施されてきた制度である。近世交通機関の発達は諸国間の距離を益々短縮しその来往を容易にした結果必然的に外国人の出入を頻繁ならしめているというのが、世界共通の現象で従って外国人の登録制度が愈々重要視されて来たわけである。

我国においても昭和一四年三月、内務省令第六号『外国人の入国滞在及び退去に関する件』に基づき外国人の登録を実施して来たのであるが、その事務は内務省所管の外事警察において担当し、その一部は防諜的観点に立って運営されて来た。

然し乍ら終戦後は、防諜的色彩を持つ一切のものが払拭されると同時に、その効力が停止され、外国人に対しては無法律状態となった。このため外国人の保護に事欠くばかりでなく、一般行政上の支障も尠くなかった。

而も朝鮮人及び台湾人の入国者は、日毎に激増し、占領政策の面からも著しい障害を招来する等のことから、昭和二一年四月二日『日本人以外の国民の入国及び登録の件』と題する覚書が発せられ、非日本人の入国を抑制すると共に入国を許可された外国人に対する登録を実施すべきことを要請してきたので、昭和二二年五月二日ポツダム勅令第二〇七号『外国人登録令』を公布、即日施行となったのである。その後登録令は数回に亘り部分的に改正を見たが、昭和二六年一一月一日『出入国管理令』の施行に伴い、一般外国人の出入国が同法の規制を受けることとなった反面、朝鮮人及び台湾人は従来通りという、複雑なものとなった。

然るに平和条約の発効と共に、朝鮮人及び台湾人も日本の国籍を離脱して、法律上の外国人となり、ここに一般外国人同様全面的に出入国管理令の適用を受けることとなった。これを機会に昭和二七年四月二八日、講和条約発効の日を以って新たに『外国人登録法』を制定公布するに至ったのである。」(警備実務研究会編「外事警察五十講(上)」武蔵書房一七九〜一八一頁棒線は引用者)

「したがって、わが国における外国人の管理対象は、朝鮮人であるといっても過言ではあるまい。」(法令研究会編「出入国管理令 外国人登録法の違反態様と捜査の要点」大学書房八九頁)

以上の諸事実に照らせば、外登令・外登法がその法文上の建前とは異なって、在日朝鮮人及び台湾人の治安管理という実際上の制定目的をもつことが明らかであった。

2 指紋押捺制度の沿革及び目的

(1) 日本に指紋押捺制度の歴史的意味(甲第二四号証第5章)

① 刑事指紋制度から登録指紋制度への転化

日本における指紋押捺制度は、一九〇八年の監獄指紋制度及び一九一一年の警察指紋制度に始まるが、それらはいずれも犯罪者の特定及び受刑者の管理に関する刑事指紋制度であり、刑事犯罪という特殊性のゆえに制定されたものに過ぎなかった。

ところが、刑事指紋制度の枠組みを超えて指紋押捺制度が利用され始めたのが、戦前の日本が侵略した先の植民地においてであった。すなわち、日本が大陸侵略の足場とした中国東北部(満州国)において、指紋押捺制度は一九二四年頃から炭鉱などの企業における労働者管理の手段として導入され、炭鉱労働者の逃亡などを防止する手段として用いられた。

このような労働者指紋は、その後日本の侵略に対する侵略先での抵抗闘争が強まるにつれ、一九三三年頃から、日本軍の支配下にある集団部落の住民の治安管理の手段として指紋付き「住民証」・「居民証」という形態に転化した。これらは、一九三六年頃から、戸口登録指紋制度や居住証明書の常時形態制度へと発展し、最終的に一九四三年国民手帳法によって、写真が添付され、指紋が押捺された身分証明書(国民手帳)の携帯を中国東北部住民が義務付けられるという形で完成を見た。

その中で、一九三九年中国東北部において、民政部警察司と軍政部とが統合してできた治安部の中に、指紋管理局が設置され、刑事指紋と労働者指紋とが指紋管理局において統合管理されることとなった。

② 植民地労働者・住民管理と外国人登録令との連続性

右のように日本での刑事指紋に始まり、中国東北部において労働者・住民管理の手段として転化した指紋押捺制度は、戦後日本国内で実施された外国人登録において導入された指紋押捺制度と極めて類似したものであった。すなわち、十指回転指紋の登録証明書への押捺と証明書の常時携帯させるという外国人登録証明書の原型は、戦前の日本が植民地において現地住民を治安管理する手段として確立したものである。そして、戦後の外国人登録制度及び指紋押捺制度の導入においてはこれらの経験がそのまま引き継がれたものであった。

(2) 指紋押捺制度の導入目的

外国人登録法における指紋押捺制度は、前述のように治安管理目的で制定された外登法の中で、さらに在日朝鮮・韓国人の管理を強めるべく、右のような植民地での指紋による住民の治安管理の経験の継続として導入されたものである。

指紋押捺制度が導入されたのは、一九五二年四月二八日公布施行の外登法であったが、在日朝鮮人・韓国人の日本国籍を喪失せしめる講和条約の発効と同時にかかる制度が導入されたのは、まさに同制度が名実ともに外国人となる在日朝鮮人・韓国人を管理するために他ならなかった。そして、新たに導入された指紋押捺制度は、目的、採取・利用方法、管理保存体制に関する定めを全く欠くものであり、まさに導入のために導入された、外国人の登録管理とはかけ離れた制度であった。

このような指紋押捺制度について、当時の政府関係者は赤裸々にその導入目的を語っていた。

・国務大臣犬養健の答弁(一九五三年五月二八日第一六回国会参議院法務委員会)

「今の治安状況から申しますとこれは指紋を取らしてもらうことが一番安全なのであります。」「指紋が一番治安上万全を期し得る。」「一番大きい問題は治安でありまして、治安状況が今より悪化いたしますと、或いは少し貿易関係等で来ている人の感情を悪くしてもあえて指紋を取るという制度を採用しなければならない。」

・警視庁刑事部長古屋亨の答弁(一九五一年五月二五日衆議院行政監察特別委員会)

「警察側の意見といたしては犯罪の防止その他で指紋採取を必要とする意見でございます。」「制度的に指紋ということはぜひやりたい。そういうことが制度化されれば非常に便利であろうと思います。」

いうまでもなく、「治安」「犯罪の防止」というのは、外登法や指紋押捺制度の建前の目的には存在しない概念である。それにもかかわらず当時の政府関係者が語っていた導入目的は、まさに指紋押捺制度の真の目的を示すものであろう。

そして、この治安管理の対象を警察当局が、危険分子たる在日朝鮮人・韓国人と認識していたことは、前出の「外事警察五十講(上)」に示されている。

「 三 在日朝鮮人の特徴

在日朝鮮人は出稼的性格を持ち、流民的である。従って、日本社会に対する責任感に乏しく、遵法精神に欠けており、その犯罪率は極めて高い。

また日本人に対しては、潜在的劣等感と反抗心とを持ち、調和性が全くない。

しかし、一方では、永年の日本居住により、二世的性格をもった子女も多く、これ等は、朝鮮語も分らず日本定着を希望している。

元来、在日朝鮮人の構成は、労働者を主としており、無学・無教育・無財産の者が多く、現実的で、批判力がなく、一部指導者に利用され易い特徴がある。

この特徴が反抗主義と相挨って、日本人に対する先入観的な悪感情となっている。」(二九、三〇頁 第五講 朝鮮人の民族性について)

「 二 指紋押捺制度の実施と登録法の改正

然し乍らこの登録法に新たに規定された指紋押捺制度は、事の性質上準備期間を置くことが必要であるとして、とくに本法施行の日から一年以内に政令で定める旨規定していたが、翌昭和二八年には指紋登録に対する一部外国人の誤解が払拭されず、且つ、その施行を強行するときは、当時好転を期待された、日韓両国の国交調整にも、無用の障害を与える慮があるとして、更に猶予期間を二年以内に延長し、昭和二九年には国家財政上の理由から実施を見合わせることとなり二年以内と再度に亘って延引した。この理由は、いわば当局が当時の活発な在日朝鮮人の激しい抵抗を怖れたからに外ならない。

然し法律施行の延期をこれ以上繰り返すことは、国会の立法権を無視し、且つ、この制度に反対を唱える在日朝鮮人を増長させ、治安上も好ましくない、として昭和三〇年三月五日政令第二六号を以って、『外国人登録法の指紋に関する政令』が公布され、同年四月二七日から施行されることとなった。」(一八一、一八二頁 第四三講 外国人登録法について)

そして、後述するように、指紋押捺制度が運用実態としても、法務省による外国人の登録管理より以上に警察による犯罪捜査目的のために用いられてきた実態に照らせば、指紋押捺制度の制度目的は明らかに在日朝鮮人・韓国人の「治安管理」にあったと言わざるをえない。

四 外国人登録における指紋押捺制度の不合理性

1 指紋の有効性とその社会的意味

(1) 指紋押捺制度の有効性に関する被上告人の主張

被上告人は、現在にいたるも指紋押捺制度の有効性について、指紋と写真とを比較した有用性を述べ、第一審判決もその主張を鵜のみにして「指紋は、万人不同、終生不変という特性を有するので、人物を特定する最も確実な手段であり、かつ、二つの指紋を肉眼で照合することにより、多くの場合、比較的容易にその同一性の有無を確認することもできるほか、肉眼ではこれを確認できない場合であっても、専門的鑑識により、最終的かつ絶対的にその同一性の有無を確定することができること、他方、顔写真は、容易に同一人性の確認に供し得るという利点を有するが、年齢・化粧等による容貌の変化や撮影時の光線の具合等によって同一人の写真でも微妙な差が生じ得るし、他人の写真であっても容貌が相似して区別がつかない可能性もあるから、指紋のような絶対性を有するものではなく、この点において、同一人性の確認の手段としては十分ではなく」と判断し(三―2―(一)―(3))、原判決もそのことについて何らの検証を加えていない。しかしこれは、あまりに現実を無視した強弁としか言いようが無い。

(2) 指紋の限界性

まず、指紋が同一人性確認の手段として適当かどうかは、その性質論のみではなく、その指紋が用いられる社会的・制度的諸条件の中で判断されなければならない。

① 肉眼の確認は容易なものではない

指紋の照合における肉眼による確認は、写真に比べてはるかに困難である。指紋は、起伏・陰影・表情のある写真と異なり、単なる線状模様の組合せであり、多数の指紋の中から類似の模様を識別排除することは、模様の特徴・分類方法に習熟してはじめて可能なものであり、経験・知識を有しない者にとってその照合は到底容易とはいえないものである。

② 専門的鑑識が可能か

また指紋の照合において「最終的かつ絶対的」とされる専門的鑑識は、それを行う体制が存在するもとでのみ、機能するものである。専門的鑑識を日常的に行う体制が無い以上、専門的鑑識といってもそれは「絵に描いた餅」に過ぎない。

ところが、外国人登録における指紋押捺制度においては、第一審判決も認定するように(三―2―(二)―(1))、換値分類の中止(一九七〇年、それ以降現在にいたるも復活していない)、二回目以降の指紋原紙の法務省送付とそれに伴う照合の中止(一九七四年)などの運用の変更があり、専門的鑑識を行う体制は喪失していたのである。このような実際の受入体制のもとで指紋の最終性、絶対性を述べること自体、全く現実を無視した想定といわざるをえない。

さらに付言すれば、この「最終的かつ絶対的」なる表現自体実に誇張に満ちたものである。人物の同一性が問題となる場合において(指紋が異なるが同一人と主張する場合や指紋は同じだが別人であると主張する場合)、指紋のみを理由に人物の同一性を断定することは実際には困難で、他の資料と併せて総合的な判断を行わねばならないことは、刑事事件における行為者の特定の手順を見れば明らかである。

③ 現実に同一人性確認の手段として用いられているか

市町村窓口においては写真による同一人性確認をするのみで長年に渡り指紋照合作業は行われておらず、法務省も(五・一四通達までは)指紋照合確認作業の励行を指示していない(第一審判決三―2―(二)―(2))。また、前述のように法務省の照合確認体制自体、少なくとも専門的鑑識によるものは、一九七〇年以降行われていない。

これはまさに、指紋による照合が大量的事務を扱う外国人登録においては、その取扱が煩雑で利用に適していないことを示すものに他ならない。

④ 一指平面指紋の下での有用性の減少

さらに、右指紋が同一人性確認の手段として持つ意味は、従来の一〇指指紋を一指指紋としたこと(一九七一年)、押捺方法を回転指紋から平面指紋としたこと(一九八五年)により、上告人の指紋押捺拒否時までにはその有用性は一層減少した。

⑤ 指紋の持つ社会的意味

加えて、指紋押捺は、前述のように個人のプライバシーや不快感・心理的抵抗感と切り離すことは困難であり、そのような抵抗感と無関係に指紋の有用性を論ずることは出来ない。

(3) 写真の有効性・通用性

逆に、被上告人や第一審判決がその欠点を縷々指摘する写真は、外国人登録制度の中では合理的に運用されうるものである。

① 年齢による容貌の変化について

外国人登録制度は、従来は三年、現在は五年ごとに登録証の切り替え交付を行い、その際写真を提出させることとなっており、運転免許証同様そのような短期間では、容貌の変化は例外的なものであろう。現に自治体窓口においては問題なく写真による同一人性確認が可能なのである。このような期間をもった切り替え制度の存在を無視して、写真の年齢による変化を述べることは、現実を無視した極端な想定であろう。

② 化粧による容貌の変化

化粧による容貌の変化は、容貌の輪郭等基本的なものを変化させるものではなく、取り立てて識別を困難ならしめるようなものではない。また、化粧の有無はその容貌を直接見れば容易に判断できるのであるから、確認申請などの際に肉眼での判断が可能である。

③ 撮影時の光線の具合等による微妙な差異

これは、運転免許証の写真のような画一的な撮影方法など技術的な工夫で容易に克服できる問題であり、逆に指紋においても押捺の力や方向などによって、同様の問題を生ずるのであるから、取り立てての欠点というにはあたらない。

④ 容貌が相似する他人との区別

相似するものが存在すれば区別が困難であるのは、指紋においても同様である。むしろ、性別・年齢・輪郭等を持たない指紋は、相似するものの間での識別がより困難であろう。

以上のように、写真の欠点として指摘される諸点は、切り替えなど制度全体の機能の中では何ら本質的な欠点を持たず、あえて指紋をとるべき理由はないのである。

むしろ、写真は、運転免許証、旅券などのように人物の特定を必要とする他の制度において、中心的に用いられている手段であり、他の制度においては指紋が無くとも有効に機能しているのである。

(4) 法改正による被上告人の論拠の消失

以上のような「指紋」か「写真」かという論議は、本年の外国人登録法改正によって根底から覆されている。すなわち、改正外国人登録法においては、一年以上滞在する登録外国人の大半を占める永住者について、指紋押捺義務が廃止されて写真確認一本とされたことにより、これまで被上告人が写真を排して、外国人登録のためには指紋が不可欠だとしてきた論拠は、全く虚構であったことが明らかとなったのである。

2 指紋押捺制度の実際の有効性

(1) 「不正登録」と指紋押捺制度

さらに、第一審判決が「指紋押捺制度は、過去に直接二重登録の不正の発見、是正に効果を上げたほか、不正登録を思い止まらせる抑止的効果を有し、右のような不正の防止に寄与してきたし、現に寄与していること」(三―2―(四)―(1))と認定し、原判決においてもその検証を行なっていない、指紋押捺制度の実際の有効性に関する認定は、上告人が原審で再三指摘したように、全く事実に反するか著しく事実を誇張するものである。

(2) 登録人員の減少について

すなわち、外登令施行後、一せい登録切替は、一九五〇年二月、一九五二年一〇月、一九五四年一〇月に行なわれているが、法務省がその減少分を二重登録、幽霊登録人口と分析していた大量登録人員減少は、第二回の大量切替を最後になくなり、指紋押捺制度が実際に施行された一九五五年四月二七日以降は、朝鮮戦争後の帰国者や自然増減と区別できるような登録人員の大量減少等は生じていない。

それ故、「過去に直接二重登録の不正の発見、是正に効果を上げた」などという事実は、右の登録人員の減少経過からは到底言いえないものであり、そのような効果を具体的に示す事実はない。

年次

外国人登録人員

対前年比増減

内朝鮮・韓国人

対前年比増減

一九四九

六四五、七四九

五九七、五六一

一九五〇

五九八、六九六

△四七、〇五三

五四四、九〇三

△五二、六五八

一九五一

六二一、九九三

二三、二九七

五六〇、七〇〇

一五、七九七

一九五二

五九三、九五五

△二八、〇三八

五三五、〇六五

△二五、六三五

一九五三

六一九、八九〇

二五、九三五

五五六、〇八四

二一、〇一九

一九五四

六一九、九六三

七三

五五六、二三九

一五五

一九五五

六四一、四八二

二一、五一九

五七七、六八二

二一、四四三

一九五六

六三八、〇五〇

△三、四三二

五七五、二八七

△二、三九五

一九五七

六〇一、七六九

二六、四八二

一九五八

六一一、〇八五

九、三一六

(3) 指紋照合による「不正登録の発見」の意味

さらに第一審判決は、「送付された指紋原紙の指紋を換値分類して照合し、昭和三二年から昭和三六年までに五六件の二重登録の不正を発見したこと」(三―二―(二)―(1))を認定しているが、指紋押捺制度の実際の有用性に関する具体的事実の根拠は、僅かにこれだけである。右認定が事実であるとしても、五年間に僅か五六件の発見しかできない指紋照合が、六〇万人以上の外国人を管理する手段としてはたしてどれだけの意味を持つものであろうか。加えて、右期間以外の指紋照合による不正登録の発見については、被上告人からも主張されていないし、前述のように一九七〇年以降換値分類を中止しているもとでは、右のような僅かな不正登録の発見にさえ指紋は、実際には利用されてはいないのである。

なお、最近において、指紋照合による不正登録発見事例は皆無であることは、第一審で提出の黒木証言(乙第八号証の一、八五・八六項)が認めるとおりである。

(4) 抑止的効果の虚構性

それ故、残された「有用性」は、結局のところ、「抑止的効果」であるにすぎない。しかしながら、「抑止的効果」なるものは、被上告人及び第一審判決の想像の域を出るものではない。そして、前述の指紋押捺制度導入に際しての登録人員の減少状況や換値分類が廃止された後も現在に至るまで不正登録が発生・増大したなどの事実がないことを見れば、むしろそのような「抑止的効果」が現実に存在しないとも考えうるのである。

いずれにしても、現実に実証されない「抑止的効果」なる想像を理由に、押捺者に著しい精神的苦痛を与える指紋押捺制度を正当化するとは到底できないものと言わざるをえない。

以上の次第で、指紋の現実の有用性に関しては、合理的な根拠は皆無であると言わざるをえない。

五 指紋押捺制度の運用実態

1 第一審判決の認定する運用実態

第一審判決が認定するとおり、指紋押捺制度の運用については、「現実には、多くの市町村においては、右照合確認作業は行われておらず、また、法務省当局においても、五・一四通達までは必ずしも各市区町村に対し、右照合確認作業の励行を指示していなかった。」(三―2―(二)―(2))、「法務省当局においては、既に指紋の換値分類を中止し、また、指紋原紙の送付及び照合も中断した時期があったこと、さらに、市区町村においては確認申請、登録証明書の再交付申請などの際、人物の同一人性確認のための指紋の照合確認の作業を必ずしもしていなかったこと」(三―2―(四)―(3))等の事実を認めている。これらの事実や以下述べる指紋押捺制度の運用実態は、到底被上告人が主張してきたような制度的合理性が存在しなかったことを如実に物語るものである。

2 換値分類の中止の意味

換値分類が中止され、それに代わりうる処置がとられていない以上、指紋の専門的・鑑識的照合は不可能であり、ましてや指紋の有用性について言及される「最終的、絶対的」照合は期待できないことは自明である。

さらに、換値分類中止後も肉眼による指紋の照合は行われていたというが、少なくとも一九七四年から一九八二年までの間は、法務省に指紋原紙が送付されていないのであるから、肉眼による照合の事実も存在しない。指紋照合の体制についても、それを行うべき法務省外国人登録課指紋係の人員は、一九八一年頃において係長一人及び係員一人だけであり(乙第八号証の二、一一六頁)、その後増員されたという事情もないのであるから、そのような体制のもとで六〇万人を超える登録者の指紋照合は、不可能なものである。すなわち、原判決の挙げる肉眼での指紋照合は、それ自体存在が認められないものである。

3 指紋原紙の法務省送付の中止、再開の経緯と合理性

指紋原紙の法務省送付が一九七四年に中止されたことは、もはや法務省自身指紋の照合を行なう態勢を放棄したことを示している。この点について被上告人は、①近い将来に送付される予定となっていた登録原票による指紋の照合、②一九八二年に再開された指紋原紙の送付、などの弁解をして制度自体は維持されたと強弁するが、登録原票は、各人あたり七回分の確認または再交付申請を経て法務省に送付されるものであり、切替が三年毎のもとでは二一年、切替が五年毎のもとでは三五年に一度法務省に送付されるものである。このような長期間を経た登録原票で指紋の照合をしてもそれは実際的には無意味であるし、二一年あるいは三五年毎で足りるとするなら、切替のたびに指紋を押捺させる必要は全くなかったことを認めるようなものである。

さらに、登録原票にしろ指紋原紙の送付再開にしろ、既に述べたように換値分類という専門的、鑑識的照合体制を持たないもとで、かつ、その取扱担当者の体制を見ても係長一人及び係員一人という肉眼の照合すら行いえない状況のもとでは、到底指紋押捺制度の制度目的を維持していたと認めるに足りるような措置とは言えないものである。

4 運用実態にそった制度の合理性は、何ら明らかにされていない。

さらに、第一審判決がしているような「そうであれば、同一人性に疑問が生じた場合にはただちに右照合確認作業を行うことができる状態にはあったのであるから、現実には同一人性の確認のために指紋の照合確認作業が必ずしも行われていなかったとしても、指紋押捺制度の運用自体がその目的に合致しないとまでいうことはできない。」(三―2―(四)―(3))などとの弁解も、次の理由で全くの詭弁と言わざるをえない。

第一に、指紋の換値分類が存在しないもとでは、同一人性に疑問が生じたような状況で最終的な識別のために「ただちに右照合確認作業を行うこと」はできないから、論理の前提自体に誤りがある。

第二に、例え照合確認作業が可能な状態にあっても、実際に照合確認作業がなされず、その必要性も生じていない以上、その運用実態に照らして、五年ごとの指紋採取を外国人に強制する合理性、その人格的利益を侵害してまで指紋をとり続ける合理性は、全く存在しないと言わざるをえない。

第三に、指紋押捺制度の合理性を運用実態の点において論証するためには、運用実態が制度目的にそって合理的なものであることを論証しなければならないにもかかわらず、「目的に合致しないとまではいうことができない。」との結論は、結局のところ僅かな関連性の存在することを述べるものにすぎず、合理性の存在を述べるものではない。

5 治安管理のための運用実態

以上に述べてきたように、現実の運用実態に照らした指紋の意義及び実際の運用状況を検討する中で明らかとなるのは、指紋押捺制度は「外国人の特定と同一人性の確認」なる建前の制度目的との関係で、全くあるいはほとんど有用性が存在しないということである。

そのような制度目的を照らして存在理由のはっきりしない制度を、何故、政府は、多くの反対を押し切って、施行を遅らせながらも導入し、多くの批判を受けながらも存続させたのであろうか。また、押捺拒否運動が始まるや微罪であるにもかかわらず拒否者を逮捕して起訴し、捜査機関において前近代的な強制採取器具を用いてむりやり指紋を採取し、さらには、押捺拒否者の在留期間更新を拒否し、あるいは本件のように短縮するという以上なまでの敵視措置を取ったのであろうか。そこには、建前の制度目的を超えた、もう一つの政府にとっては譲ることのできない制度目的があったためと考えざるをえない。

それは、とりもなおさず、既に述べたように在日朝鮮人・韓国人を犯罪者予備軍あるいは社会の安寧秩序を乱す勢力として捕らえて、そうした勢力の行動や動向を監視かつ防止するという「治安管理目的」であった。指紋押捺制度にこれまで最も重大な関心を抱いて、法改正論議がおこるたびに強硬な反対を繰り返してきたのが警察当局であり、そのような警察当局の意を体して指紋押捺制度の導入、存続を図ってきたのが、法務省及び政府なのである。

警察が外国人登録のために自治体に保管されている指紋を、犯罪捜査という外国人登録制度の建前とは異なった目的のために利用してきたことは、第一審判決(2の(二)の(3))が概ね認めるとおりである。しかし同判決は、八〇年代にその取扱が改められたことをもって、警察の利用の運用実態を無視しようとする。しかし、これは、指紋押捺制度に対する批判や上告人のような拒否運動が発生してはじめて改められたことであり、指紋押捺制度の三〇年余の歴史から言えばごく最近の部類に属するものでしかない。また、取扱が改められたとはいっても、それはなんら確実あるいは恒久的なものではなく、警察による利用を禁ずるような立法もなされていない。

それゆえ、指紋の警察による運用の実態を、上告人が押捺を拒否した時点での指紋押捺制度の制度的意味から消しさることは許されないものである。

以上の次第で、指紋押捺制度の運用実態を検討すれば、それが外国人登録のためにはほとんど意味がなく、警察の犯罪捜査のためにのみ用いられてきた制度であることは明らかである。

六 国際比較からも異常な指紋押捺制度

日本の指紋押捺制度は、国籍取得について血統主義であるため領土内で出生した者も外国人として外国人登録の対象となり、その国の国民とは区別されて指紋の押捺を義務付けられている唯一の国である。その結果、日本の指紋押捺制度は、日本で出生して戸籍法のそった届出をなし、その係類も生活の本拠地も日本に存在する在日朝鮮人・韓国人を、日本人と差別してことさらに指紋押捺を強制する制度となっている。

七 原判決の憲法判断の問題点

上告人は、以上のような事実を指摘して、本件指紋押捺制度が、その目的・内容・手段ともに合理性を欠き、憲法一三条及び一四条一項並びに国際人権規約七条及び二六条に違反すると主張している。しかるに原判決は、これらの詳細な事実をきちんと判断することなしに、漫然と「指紋押捺制度は、(中略)合理性があったことが肯認され、控訴人主張の制度の運用実態などを考慮に入れても、同制度が憲法一三条、一四条一項ないし国際人権規約七条、二六条に違反するものであったとは到底考えられない。」と結論のみを述べている。しかしながら、原判決が真実「控訴人主張の制度の運用実態などを考慮に入れ」れば、指紋押捺制度は、法律の建前とは異なる治安管理の目的を持って運用され、「外国人の公正な管理」や「不正登録の防止」のためには制度上も実際の運用上もほとんど無意味で、上告人ら押捺義務者に耐えがたい精神的苦痛を与えてそのプライバシーを侵害するものである。それゆえ、到底、憲法や国際人権規約に違反しないなどとは言えないのである。このような憲法判断が通用すれば、法律は、法文上一見合理的な目的を掲げさえすれば、その立法の背景や運用実態や与える法益侵害にかかわりなく、合憲となり、裁判所の違憲判断機能は無意味となってしまうであろう。

第二 原判決の憲法判断の手法における誤り

一 原判決の憲法判断の手法―合理性の基準と立法裁量論

原判決は、右に述べたように、上告人の控訴審での主張を具体的に検討・反駁することなく、上告人が指紋押捺拒否行為をした時点での指紋押捺制度には合理性があったとして、「合理性の基準」により憲法違反や国際人権規約違反の主張を斥けている。

また、原判決は、さらに右指紋押捺拒否行為の後、指紋押捺制度自体の廃止の方向へ向かい、指紋押捺制度に制度的合理性がなかったことが明らかとなり、他方指紋押捺拒否が法違反としてもその実質を欠くにいたっているとの主張に対し、

「しかしながら、わが国に在留する外国人の公正な登録を保持するために、指紋押捺制度を採用するかどうか、採用するとした場合の外国人の範囲・方法・内容、写真などの代替手段でまかなうかどうか等は、指紋押捺を強制されることの個人の私生活上の自由ないし権利への侵害の態度、不快感、名誉感情等への配慮とともに、国内の不法入国者や不法残留者の状況等をはじめとして、治安、労働等の国内の政治・経済・社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしゃくして、そのつど立法府において合理的な裁量の上決定されるべき問題であって、今後仮に控訴人主張のように全面的に指紋押捺に代わる代替手段が採用されるに至ったからといって、本件当時の指紋押捺制度が遡って直ちに違憲ないし不合理のものと評価され、ひいては、本件処分が違法・不当と断定されるべき筋合のものではないと解される。」

などと、立法府の立法裁量論とも考えられる論理を用いて、上告人の主張を排斥している。

二 指紋押捺制度の全廃とその意義

右のような原判決の判断の問題点を指摘する前に、指紋押捺制度が現在どのようになっているのかについて、最初に明らかにする。

1 指紋押捺制度全廃へ向けた動き

すなわち、指紋押捺制度は、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」(一九六五年一二月一八日条約第二八号、以下、日韓地位協定という。)第二条に定める、いわゆる在日韓国人協定三世の法的地位をめぐる日韓協議をきっかけとして、以下のように推移している。

先ず、在日韓国人三世については、一九九〇年四月三〇日の日韓外相定期協議において、「指紋押捺については、三世以下の子孫の立場に配慮し、これを行わないこととする。このために指紋押捺に代わる適切な手段を早期に講ずる。」との合意がなされるに至った。

また、在日韓国人協定一世、二世についても、同年五月二四日の日韓首脳会談において、海部俊樹前総理大臣が盧泰愚大統領に取扱の改善に向けた検討を約束した上、同年一一月の日韓定期閣僚会議において指紋押捺義務の免除を合意し、翌一九九一年一月七日海部総理大臣は、在日韓国人全体について、一九九三年一月までに指紋押捺制度を全廃するとの方針を決定した。

かかる動きは、在日韓国人のみに留まらず、政府は、在日韓国人と同様の歴史的経緯を持つ在日朝鮮人及び台湾出身者についても、指紋押捺義務の免除を含む法的地位改善のための法案を提出する方針をいったんは、決定した。

さらに法務省は、一九九一年一月四日、外国人登録制度検討促進委員会を発足させて、近い将来、すべての在日外国人についても押捺義務を免除する方向で指紋押捺制度を検討することとした。

ところが、一九九一年秋以降の外登法改正案の法案化の過程で、警視庁が指紋押捺制度全廃について強硬に反対し、結果的に改正案は、永住資格を有する外国人についてのみ指紋押捺義務を免除し、その以外の外国人については指紋押捺制度を存続することとした。しかしながら、一九九二年春の衆議院の審議において、指紋押捺制度全廃に向けた五年後の外登法見直しが、付帯決議として採決されるにいたっている。

2 合理的存在理由のない指紋押捺制度

以上のような指紋押捺制度全廃へ向けた政府自身の動きの中から、次のような諸点が明らかとなっている。

第一に、上告人が再三述べるように指紋押捺制度は、決して国の述べる外国人登録のために必要不可欠な措置ではなく、容易に全廃の措置かつ代替手段を採ることができるものでしかないということである。それ故、指紋押捺拒否という「法違反」は、全く実害のない軽微なものでしかないのである。

第二に、それにもかかわらず、八〇年代に政府が、指紋押捺拒否者に対し、強制捜査や公訴提起などの強圧姿勢で望んだのは、外国人登録という法目的の実現のためよりも、指紋押捺拒否運動への報復の意図を有していたとしか考えられない。

第三に、そのような日本政府の強圧的姿勢にもかかわらず、指紋押捺は、日本と韓国間の政府協議で、韓国側がその制度の廃止を強く求め日本政府も在日韓国人の指紋押捺の免除を確約せねばならないほど、その制度自体の存続が国際的にも問題とされているのである。

第四に、国は、右のようにいずれ廃止されるような合理性のない指紋押捺制度違反を理由に、上告人の在留期間延長申請に対し、従来の在留期間を短縮したものである。しかし、上告人のように外国籍を持って日本にしか生活の本拠を持たない者にとって日本での在留は生活の前提となっているにもかかわらず、合理性のない指紋押捺制度違反をとらえて、その在留を不安定ならしめた国の行為は、何ら必要性のない報復的な措置であると言わざるをえない。

三 事実を確定しないままの憲法判断―理由の不存在もしくは齟齬

原判決は、上告人の主張する事実の確定を行わないまま憲法判断を行っている。すなわち、上告人は控訴審において第一で主張したような各種の事実を主張し、第一審判決が認定しなかった事実については、事実誤認があるとして再度の事実の主張を行っている。また、前項に述べたような本件処分後の指紋押捺制度自体の変容及び自壊の経緯について、上告人は控訴審において詳細な事実主張を行っている。

ところが、原判決は、上告人が事実誤認を主張する点について自ら事実の認定をすることなく、また、控訴審で上告人が新しく主張した指紋押捺制度の旧植民地の住民管理制度からの来歴や指紋押捺制度の改正・廃止にいたる経緯などについては、被上告人の事実についての認否を求めることもなく、その結果事実の認定を行わない。このように原判決は、事実の認定を怠ったまま、「控訴人主張の制度の運用の実態などを考慮に入れても、」あるいは、「今後仮に控訴人主張のように全面的に指紋押捺に代わる代替手段が採用されるに至ったからといって、」などと控訴人主張の事実にういて明確な判断を留保してきわめてあいまいな事実の上で憲法判断を行っている。

このような原判決によっては、原判決がいったいどのような事実認定を基礎に憲法判断を行ったかは不明なままであり、そもそも事実がどうであろうと結論が先にあるといった理由不在の判断であるとすら評価できる。

それ故、原判決には、判決に理由を附せず、または理由に齟齬があるという違法がある。

四 被告の主張を超えた憶測による憲法判断―弁論主義違反

被上告人は、第一審、控訴審を通じて、指紋押捺制度の合理性・必要性を繰返し述べるのみで、本件処分後の指紋押捺制度の改正や指紋押捺制度の全廃へ向けた政府自身の動向などについては、事実の認否すらせず、ましてやそのような動向に照らしての指紋押捺制度や本件処分の合理性などについては、一切の主張をせず、貝が口を閉ざすように沈黙を守ってきた。

ところが、原判決は、被上告人が何らの主張を行わないもとで、指紋押捺制度の変遷及び全廃について、前記のように「指紋押捺を強制されることの個人の私生活上の自由ないし権利への侵害の程度、不快感、名誉感情等への配慮とともに、国内の不法入国者や不法残留者の状況等をはじめとして、治安、労働等の国内の政治・経済・社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしゃくして、そのつど立法府において合理的な裁量の上決定されるべき問題であって、今後仮に控訴人主張のように全面的に指紋押捺に代わる代替手段が採用されるに至ったからといって、本件当時の指紋押捺制度が遡って直ちに違憲ないし不合理のものと評価され、ひいては、本件処分が違法・不当と断定されるべき筋合のものではないと解される。」などと、被上告人が全く主張していない「立法裁量論」によって、上告人の主張を排斥したのである。

しかしながら、「指紋採取には写真によっては代替しえない制度的合理性がある。」という趣旨の合理性に関する被上告人の主張と、「たとえ、指紋押捺制度が写真によって代替可能であって、そのために指紋採取を写真撮影で代替させるという法改正があったとしても、それらは立法府がその時々の諸事情により合理的な裁量で決定すべきであるから、その決定は一応尊重すべきで裁量権の逸脱・濫用がないかぎり不当ではない。」という趣旨の立法裁量論とは、明らかに性格を異にする主張である。このことを単純化していえば、実際には「白」と判明した事実を、「黒」と主張し続けている被上告人に対し、その誤りを判断することなく、「白」と考えるか「黒」と考えるかは立法府の判断であるとして救済するようなものである。しかし、それは明らかに訴訟当事者の主張を踏み越えた、当事者の主張に基づかない判断である。それ故、被上告人の主張のないまま、上告人主張の事実について「立法裁量論」によって排斥した原判決には、弁論主義違反の法令違背が存在する。

そして、原判決は、被上告人の主張していないこの立法裁量論を用いなければ(すなわち弁論主義違反を犯さなければ)、「指紋採取には写真によっては代替しえない制度的合理性がある。」という趣旨の合理性に関する被上告人の主張と、現実に法改正により指紋押捺義務が多数の登録外国人にとって免除され、その余の外国人についても廃止の方向が決定されたという事実との間に存在する、明らかな矛盾について判断せざるを得ず、その結果、被上告人の合理性に関する主張、ひいてはその合理性を認めた第一審判決の、全部または一部を否定する判断をせざるを得なかったはずである。

それ故、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある。

五 合理性の基準は適用されるべきではない

第一で述べたように、在日朝鮮人・韓国人の治安管理を目的として制定された指紋押捺制度は、特定の国籍もしくは社会的出身の者を一律に犯罪者予備軍あるいは治安対象者とするもので、制度目的自体に合理性がない。

また、外登法の掲げる外国人の公正な管理という表面上の目的に照らしても、第一で詳述したように、その運用実態を子細に検討するならば、指紋は過去の運用状況に照らしても、指紋を利用する制度的な態勢に照らしても、法務省や自治体において同一人性の確認のためには用いられておらず、その制度目的の外にある警察捜査のために用いられてきたものであって、制度的な合理性はない。

原判決は、そのような運用実態や、写真による照合などより名誉感情やプライバシーの侵害の程度のはるかに少ない手段との代替性に関する上告人の主張について、漫然と合理性の基準によって排斥し、それ以上の緻密な憲法適合性の判断を行わない。

しかしながら、合理性の基準による判断、すなわち制度の憲法適合性は制度目的の合理性と目的実現のための手段に合理性があれば足りるとする判断基準は、公共の福祉による制約の必要性がより強い経済的自由権の判断においてとられるべき憲法判断基準である。このような憲法判断基準が、個人の人格に関わる精神的自由権について、そのまま適用されるべきではない。保障される人権の内容や規制目的の種類に応じて憲法判断基準が異なるべきことは、最高裁判例によって承認されてきたところである(最高裁大法廷昭和四七年一一月二二日判決、同昭和五〇年四月三〇日)。

そして、名誉感情やプライバシーという精神的自由権に対する制約及びそれらをめぐる平等原則をめぐる憲法判断は、表現の自由に関する憲法判断基準に準じて、制約手段の合理性の判断では足りず、より厳格な基準によって行われるべきである。すなわち、制度目的を達成するためにあえて名誉感情やプライバシーを侵害することなく、あるいは侵害の程度がより軽い代替手段が存在するかどうかを判断し、必要最小限の手段あるいはより人権を侵害しない他の選びうる手段が存在しうる以上、不必要に人権侵害的な手段は憲法違反として改められるべきである。

そして、本年度外国人登録法の改正により明らかとなったように、指紋採取に比べて人権侵害の程度の軽微な、写真という代替手段が存在したのであるから、指紋押捺制度は右基準に照らして違憲と判断されるべきである。

この点原判決は、憲法の解釈をあやまった違法がある。

六 あやまった立法裁量論の適用

前述のように原判決は、外登法の改正と指紋押捺制度の全廃に関する上告人の控訴審の主張を、「しかしながら、わが国に在留する外国人の公正な登録を保持するために、指紋押捺制度を採用するかどうか、採用するとした場合の外国人の範囲・方法・内容、写真などの代替手段でまかなうかどうか等は、指紋押捺を強制されることの個人の私生活上の自由ないし権利への侵害の程度、不快感、名誉感情等への配慮とともに、国内の不法入国者や不法残留者の状況等をはじめとして、治安、労働等の国内の政治・経済・社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしゃくして、そのつど立法府において合理的な裁量の上決定されるべき問題であって、今後仮に控訴人主張のように全面的に指紋押捺に代わる代替手段が採用されるに至ったからといって、本件当時の指紋押捺制度が遡って直ちに違憲ないし不合理のものと評価され、ひいては、本件処分が違法・不当と断定されるべき筋合のものではないと解される。」

などと述べて、排斥している。

しかし、ここには重大な論理と論点のすり替えが存在する。

第一審以来双方が主張し争点としてきたのは、指紋押捺制度は外国人の公正な管理のための同一人性確認のための不可欠な制度であり、写真等他の手段では代替できないものであるかどうか、その意味で制度の合理性があるかどうか、という点であり、そうであるからこそ第一審判決も詳細に指紋と写真との特徴を比較して、指紋は写真では代替できないものであるとして制度の合理性に関する判断をなした。そこで、上告人は、現実に指紋が廃止されて写真で代替するという法改正の存在をもって、被上告人の主張や第一審判決に理由のないことを控訴審で指摘したのである。

これに対する判断は、論理的には、①被上告人の主張や第一審判決は、誤りで同一性の確認は写真でも代替できる、②同一性の確認は写真では代替できないにもかかわらず、誤った法改正がなされて同一人性の確認は不可能となった、③同一性の確認という社会的事実が法改正の前後で大きく変化し、法改正前には指紋が不可欠であったのに、改正後は写真でも足りるようになった、のいずれかでしかない。原判決は、その論理的な判断をした上で、同一人性の確認のためにそもそも指紋が不可欠であるのかどうかを明らかにして、結論を導かねばならなかったのである。この判断は、事実に関する争点であって、立法裁量とは何ら関係しないものである。

ところが、原判決がしめした前記の「立法裁量」は、指紋でも写真でも状況によってどちらをとってもよいというきわめて安易な結論であって、「外国人の公正な管理と同一性の確認のために、指紋押捺制度は不可欠なものであるかどうか」という第一審以来の争点には何ら判断が示されていないのである。

それ故、原判決は、真の争点には無関係な点について、無関係な憲法解釈により判決を導いているものであって、憲法の解釈を誤っているものである。

○ 上告理由書(二)記載の上告理由

第一 法の下の不合理な差別

(憲法一〇条、一四条違反)

一 問題の視点

1 原判決は本件処分(在留期間三年間とすべきを一年間とした)について、上告人を「四―一―一六―三該当者)の外国人であるから、その地位にある上告人について在留期間を何年間とするかは法務大臣の広汎な裁量権があるとして、本件処分は適法であり、また損害賠償請求の対象たる違法性もないとした。

しかしながら、原判決は第一に上告人が如何なる経緯で「四―一―一六―三該当者)たる外国人となったのかを全く顧慮しな誤りがある。第二に上告人の如き外国人について日本人と異なって指紋押捺を要求し、その拒否を理由に不安定な日本国内での在留資格上の法律関係を強いることが合理性を有する差別とは認めがたいにもかかわらず、この点について全く判断を欠いている。換言すれば、第一に上告人は本来日本人と異なって扱われるべきではない。そのような歴史的経過がある。憲法一〇条の国籍要件法定主義の原則からみても上告人は日本人と押捺制度や在留資格等において異なって扱われるべき理由はない。

第二に、後述する国籍上の法的立場にある上告人については、憲法一四条一項の法の下の平等の原則がどのように適用されるべきであろうか。一四条一項は上告人の如く戦前日本人として扱われ、一片の通達で日本国籍を喪失させられ「外国人」とされた者についても、その者に対する国家権力の差別的取扱いが不合理なものであれば違憲・違法とされるべきである。

以下、日本国籍喪失の問題点について論じることとする。

2 また、既に述べたところではあるが、憲法一〇条違反の上告人に対する処遇の一環である本件処分の憲法一四条の面での問題点についても論及する。

二 国籍問題についての原判決の誤り

1 一審判決の認定

一審判決は上告人が「外国人」であって、入管法の規制対象であるという前提に立つ。そして、この「外国人」についての在留更新の拒否や期間については法務大臣の広汎な自由裁量があるとする。

上告人の国籍がどうであるのか。また仮りに「外国人」として処遇するとしてそのあり方はどうあるべきか。これを論ずるにあたって、我々は上告人の国籍問題として、日本国の領土変更、それも日本国の侵略併合に対する民族自決的独立国家の樹立に伴なう国籍確定をどう把えるべきかについて検討しなければならない。

一審判決はその理由第四―二―1において控訴人の国籍について次のように言う。

「日本は、日本国との平和条約二条(a)項により、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したものであり、また同条約二一条により、朝鮮はその利益を受けるものとされているのであるから、朝鮮人は、同条約の直接の効果として、その発効に伴い、当然日本国籍を喪失したものと解すべきである。四三八号通達は単にその旨を明らかにしたものであり、同通達の効力として朝鮮人の日本人国籍喪失があるものではない。」

2 一審判決の背景にある論理の問題点

この一審判決のは、一九六一年四月五日最高裁大法廷判決(民集一五・四・六五七)が次の如く述べているのをそのまま、その後の日韓両国の関係の変化や研究の成果を全くふまえることなく、無批判に引用したものである。

右最高裁大法廷判決は次のように言う。

(一) 憲法一〇条は日本国民の要件を法律で定めることを規定しているが、これを定めた国籍法は、領土の変更に伴う国籍の変更について規定していない。しかも領土の変更に伴って国籍の変更を生ずることは疑いをいれない。この変更に関しては、国際法上で確定した原則がなく、各場合に条約によって明示的または黙示的に定められるのを通例とする。したがって、憲法は領土の変更に伴う国籍の変更について条約で定めることを認めた趣旨と解するのが相当である。

(二) 日本国との平和条約は、二条a項で「日本国は、朝鮮の独立を承認して、……朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定している。簡単に言えば、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に属すべき領土に対する主権を放棄することを規定している。この規定は、朝鮮に属すべき領土に対する主権(いわゆる領土主権)を放棄すると同時に、朝鮮に属すべき人に対する主権(いわゆる対人主権)も放棄することは疑いをいれない。

(三) 朝鮮に属すべき人というのは、日本と朝鮮との併合後において、日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位をもった人と解するのが相当である。朝鮮人としての法的地位をもった人というのは、朝鮮戸籍令の適用をうけ、朝鮮戸籍に登載された人である。

しかし、右最高裁判決の論旨はいずれの意味においても誤っている。

第一に、領土の変更に伴う国籍変更について、国際法上確定した原則がないことは、事実としても、条約で「黙示的に定められるのを通例とする」という事実は全くない。

第二に、講和条約は、二条を含めどの条項を見ても国籍問題については言及しておらず「朝鮮に属すべき人」から日本国籍を剥奪するという趣旨はどう読んでも認められない。

第三に、日本政府が戦前朝鮮民族を「外地人」として差別抑圧するために自ら制定した「朝鮮戸籍令」を、在日朝鮮民族の日本国籍を剥奪して「外国人」として差別的に処遇する根拠とするに至っては、平和条約の趣旨にも反する本末転倒の誤った解釈である。戦前の侵略抑圧を戦後も継続せんとする当時の日本政府の意を受けた国際法上も到底認められない暴論である。

原判決はこのような右最高裁判決の論理を一層粗雑にくりかえしたものであって明らかな誤りである。

3 「国籍変更」の判断の視点

そこで、以下上告人を外国人と決めつけることの是非、及び仮りに外国人と解釈した場合について、その在留条件について本件の如く差別的不利益取扱をすることの是非について検討する。

その検討にあたっては、次の論点に沿って行なうこととする。

そもそも領土変更に伴う国籍変更は、過去世界的にどう処理されてきたのか。国際法上どのような慣行があるのか。まずこの点が、究明されねばならない。

次に、日本の朝鮮半島への侵略・併合が否定され、右半島での民族自決的独立国家樹立に際して、在日朝鮮人・韓国人の国籍問題はどう考えられるべきか。一九一〇年の併合以降の社会的歴史的事実を踏まえつつ、国籍問題の基本的視点が確立されねばならない。

第三に、国籍のもつ機能に即して、その効果について考える必要がある。即ち、前記最高裁判決も認めるとおり、在日朝鮮民族の国籍について、日本政府と新たな独立国家たる大韓民国(以下「韓国」という)や朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」という)との間には、明示的条約は存在せず、もちろん平和条約にも規定がない。更に、日本国憲法一〇条が予定している法律についても、この点について定める法律がないことは明らかである。そうである以上、国籍問題や国籍帰属が持つ機能的効果についての解釈のあり方が具体的に検討されるべきである。

以下、右の論点に即して検討を加えることとする。

三 領土変更に伴う国籍変更

1 領土の従物としての住民

近代国際法の誕生に先行するヨーロッパ中世末期(一六ないし一八世紀)、当該領地の住民は基本的に土地の従物であり、領土の割譲とともに譲渡されることが多かった。君主や国家権力は領土とともにその領土に居住する領民も支配下においたのである。

そして、この領域変更に伴う臣民の地位の自動変更という原則の確立とともに、一定の限度で移動、移住の自由が認められていった。

この原則は、一八、九世紀のアメリカ合衆国をはじめとしたアメリカ南北大陸諸国の独立についても採用され、国際法上の基準として確立していった。

2 居住主義の動揺

しかし、右原則は第一次世界大戦後のオーストリア・ハンガリー・ロシア帝国崩壊に伴う中東欧・バルカン諸国の独立に伴ない変容をとげる。ポーランド・チェコスロバキア・エストニア・ラトビア・リトアニア等は原則として民族国家として独立したが、その領土内には他民族も含んでいたし、その独立国の領土外にも当該民族が散在した。そこで居住主義を原則としつつ、同一の血統・言語集団に属することを考慮して国籍変更の影響を受ける者に、一定要件の選択権を付与すると共に、無国籍防止のための歯止め=補充規定をおくようになった。ベルサイユ体制においては、領土変更に関しても領域内住民の国籍を自動的に変更するのではなく。むしろ両国の講和条約によって領土と国籍変更の内容が、確定することが殆どであり、係争地毎に複雑な処理がなされた。

3 民族自決と人権の枠組での国籍処理

第二次世界大戦以降、アジア、アフリカの多くの国家が民族自決主義の思想のもと、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカ等から独立を遂げた。

これらの新たに樹立された民族国家における国籍、即ち新しい国家の構成員の確定は、原則として新国家の国内法や旧宗主国との条約によりつつ、それを旧宗主国内法で補完的に調整するという方法がとられている。

原則として、民族自決主体側の判断を優先しつつ、無国籍者発生の防止や領土・国籍変更で受ける具体的生活上の不利益を避けるための配慮がなされたのである。

例えば、セイロンは一九四八年の市民法で、厳格な血統主義に立脚する国籍法制を採用した。南ア連邦は制限的出生地主義を原則とした。インドやパキスタンでは出生と居住の組み合わせで国籍法制を確立した。その上で、イギリスはこれら独立国の国民とならない者の連合王国市民としての国籍を認める法制をとった。この処理は、ナイジェリア・ザンビア・モーリシャス・フィジー・バハマ等多くの国の独立についても同様である。

フランスから独立したチュニジア・ベトナム等についてはフランスと独立国との間での国籍に関する条約を締結してこの問題を解決した。

4 旧支配国の配慮義務

これらの具体例を諸々検討して明らかなのは、第一次世界大戦以降、特に第二次世界大戦以降においては、領土変更に伴い居住住民の国籍が自動的に変更するという考え方は全くとっておらず、両国国内法や両国間の条約等によって具体的にまた相互調整的に決定しており、その際独立国家の意思が尊重されているということである。

それはまぎれもなく、旧宗主国の他民族支配が歴史的に侵略であったという反省に立つ。また、民族自決が歴史的必然で尊重すべきものという考え方に立つ。

その上で、過去の宗主国支配下で居住し成立している旧植民地の民族の現実の生活が領土や国籍変更によって不利益を被ることのないようにする配慮がとられている。

第一に、国籍選択の機会を保障することである。第二に、独立国と旧宗主国との間の出入を旧支配国の人民については広汎に認めるという方法である。

四 日朝間の国籍・入管法制

1 日韓併合初期

一九一〇年に日本が朝鮮半島併合に至った時、同地に独立した一体性のある国家や国籍が確立したとは言い難いであろう。前記最高裁判決が(三)において、併合前の朝鮮国家の戸籍等を基準として持ち出すことができず、併合後に日本政府が後述するいきさつで創作した戸籍を持ち出したのもそのためである。

併合以降日本政府は、朝鮮民族としての独自性を奪い日本人への同化を進める政策を基本とした。朝鮮民族は、総督府のもと「外地人」として日本人とは異なる支配に服した。その区別は戸籍により、併合初期は民籍法、後には朝鮮戸籍令によって、朝鮮人が「内地」に転籍・就籍することは原則としてできないこととし、差別して支配下においたのである。民法、刑法等の運用適用等も内地と異なり、選挙法や平役も適用外であった。朝鮮人の反日運動を武力で鎮圧する方針のもと内地人、外地人の区別が強調されたのが併合初期の特色である。

2 日本人への同化政策

内地に居住する

朝鮮人の数

一九〇九年

七九〇人

一九二〇年

三万〇一七五人

一九三〇年

二九万八〇九一人

一九四〇年

一一九万〇四四四人

右表は、その極端な労働力流入の実態を裏付ける。

前記方針は一九一九年の三・一運動を機に変貌する。「一視同仁」「朝鮮民族の祖大和民族」化政策のもと日本人に全面的に同一化政策がとられる。

特に、満州事変から日中戦争に突入するにいたり、戦争遂行のための総動員体制は「内鮮一体」として朝鮮人を皇民化し、日本政府の軍事戦事体制の枠組みにはめ込まれる。

徴兵義務も朝鮮民族に課され、ついで朝鮮からも議員を選出した。一九四四年には一定条件下で朝鮮人の内地移籍を認める一方、日本政府による徴用や斡旋あるいは自発的意思による内地への労働力としての流入が急がれた。

3 両国独立のいきさつ

朝鮮民族の独立は、一九四三年のカイロ宣言で連合国の決意表明として初めて打出された。しかし、一九四五年八月一五日、日本政府のポツダム宣言受諾後も朝鮮民族による独立国家の樹立と新たな国籍は一九四八年八月九日まで待たねばならなかった。

朝鮮半島の南北をそれぞれ実質支配下においた米ソ両国は、冷戦の激化とともに単一国家の樹立を不可能ならしめ、結果として三八度線を境に異質の二つの自治権力ができることになった。

即ち、四八年五月、南の単独選挙が行なわれ、国民議会が組織され、そこで憲法制定と共に、李承晩大統領を選出し、同年八月一五日、「大韓民国」が成立した。他方北では同年五月憲法の制定公布、八月最高人民会議代議員選挙を経て、同年九月九日「朝鮮民主主義人民共和国」が成立した。

この歴史的悲劇について論評する資格は日本国にはないが、少なくとも本件訴訟との関係で次のことが重要である。

第一に、右の事態は朝鮮の民族自決の一過程であり、両国家の併存という実態は、単一国家形成の過程として把えられるべきである。

第二に、両国家がその国民の範囲をどう決めるかについては両国家や朝鮮民族の自主的判断に委ねるべきであり、侵略国であった日本政府が云々するべきではない。このことは在日朝鮮民族についても全く同様である。

4 南北両国の国籍法制

(一) 韓国にあっては、四八年五月の「国籍に関する臨時条例」や四八年七月の憲法、国籍法で国民の範囲を決めた。父系血統主義を基準とするものであった。在日「韓国」人については、在外国民登録法(四九年六月登録令、同年一一月法律とした)が施行された。

同法によれば、外国で一定の場所に住所または居所を定めた在外国民は総領事館、大使館等の公館に申告して本籍、住所、氏名、兵役関係等一定の事項を登録しなければならず(二、三、四、五条)、登録申告しない者に対して公館の長は、国民として受くべき保護を停止させることができる(八条)が同法の適用範囲において大韓民国駐日代表部は大使館とみなされている(一三条)。翌五〇年二月には同法施行令が制定、施行され韓国駐日代表部は末端事務を民団に委嘱し、積極的に国民登録を進めた。この際、韓国国民の範囲確定は四八年国籍法の一般規定を基準として行なわれた。韓国国民として登録した朝鮮人は五〇年には約七万七千にとどまっていたが、サンフランシスコ条約が発効した五二年には約一一万七千となり、今日では三七万に達している。そしてこの国民登録に際しては、前述したように四八年国籍法の規定がそのまま適用され、韓国国民の範囲確定が行なわれたのである。

(二) 共和国においては、一九六三年まで形式上の国籍法はないものの、朝鮮民族の血統を基準として国民確定が行なわれた。同国では、同国内居住民については公民証制度によって外国人と区別したものの、在日「共和国」人についての規定はない。六三年国籍法は血統主義に立って次のとおり定めるが、なお在日「共和国」人の範囲等については今後の確定にまつところが多い。

即ち、同法は「朝鮮民主主義人民共和国創建以前に朝鮮の国籍を所有していた朝鮮人とその子女で、本法の公布日までにその国籍を放棄しなかった者」(一条一号)を北朝鮮公民とし、公民がその居住地に関係なく北朝鮮の政治的・法的保護を受ける旨規定している(二条)。

五 上告人ら在日朝鮮人民族の処遇のあり方

1 基本的視点

イギリス・フランス等旧宗主国から独立した新国家の国民の範囲、とりわけ旧宗主国に居住する独立国家の民族に属する人々の国籍が、条約や新国家の自決と旧宗主国の補充的法律によって明確にされてきたことは前に述べた。

ところが、在日朝鮮民族については、これを確定する条約が日本と韓国や共和国との間に条約として確定したものはない。日本は共和国の存在さえ公的には認めていないのである。

しかも、韓国、共和国の国籍法によって在日両国人民の範囲が必ずしも確定したとは言いがたい。その上、日本国の法律上もこの問題を明確に定めたものがないことは、争いの余地がないところである。

何故このようなことになったか。言うまでもなく、単一民族国家の未形成や日本と両国の円満な条約関係の未成立が原因である。

この問題を考え、具体的な運用や解釈を論じるにあたって踏まえて置かなければならないのは、日本の領土縮少による国民の範囲の確定や処遇は、侵略の事実を踏まえ、その反省に立つものでなければならないということである。即ち、仮りに在日朝鮮人・韓国人を「外国人」であるとするならば、それは過去に侵略という過ちを犯した国民に対するつぐないとして外国人の地位を尊重してその侵略責任をつぐない、保護するものでなければならない。他方、新しく独立した民族国家が在日朝鮮人・韓国人について、これを日本人同様の地位に立つものとして、在日朝鮮人・韓国人を日本人と同一の権利を認める立場にたつのであれば、日本政府としてその立場に即した運用がとられるべきであるということである。

少なくとも「外国人」とすることで、日本国民に比べて不利益待遇するという二重の歴史的誤りを犯すことがあってはならない。

一審判決は、上告人が「単に」在日朝鮮人・韓国人に属するとの事実をもって特別に扱う理由はないとする形式論をくりかえすが、この立場はこれまで述べてきた諸外国の取扱例にうかがえる国際法上の慣習や日本国の朝鮮侵略の歴史的反省にまったく無自覚な容認しがたい誤った立場である。

2 イギリス、フランスの旧植民地人の処遇

ちなみに、イギリス国内に居住する多くの旧植民地国の国籍を有する「外国人」やフランス国内に居住する旧植民地たるアルジェリア国籍を有する人に対する出入国の取扱いはどうなっているか。

(1) イギリスの例

まず英連邦移民法は「連合王国に通常居住している者か、または過去二年間のいずれかの時期通常居住していたことについて移民官を満足させたとき」その入国許可を拒否してはならないとする。

また次の者についても入国許可は拒否できない。「両親の双方が連合王国の居住者であるか、両親の双方が本人と共に入国しようとしているかあるいは入国許可を求めているか、両親の一方が連合王国に居住しており他方が本人と共に入国しようとしているか入国許可を求めているかのいずれかに当たるとき」。

右の入国拒否が例外的に認められる場合は、次の場合に限定されている。これは結局、国家にとって、明らかに入国を認めることが好ましくない事由がない限り、在日朝鮮人・韓国人の如き定住旧植民地人の入国を広く認めてその生活権を保障しているのである。a 精神病にかかっているか、又はその他の医学的な理由により入国を認めるのは好ましくない旨の医官の勧告があった場合

b 犯行の場所いかんに拘らず、一八七〇年から一九三五年までの逃亡犯罪人引渡法に規定された引渡の対象となる犯罪を犯したと信ずるに足る充分な理由がある場合

c 国務大臣の意見により、入国を許可することは国家安全の利益に反するとされた場合

(2) フランスの例

アルジェリアは一九六二年フランスから独立したが、それに際しフランス政府はアルジェリア人について、フランス人同様の地位を認めてその生活権を保障すべく、様々な規定を定めた。

アルジェリアとフランスの間の交通の自由については次のとおり定められている(政府宣言B 保障の宣言第一部一般規定2)。

裁判の決定の場合を除き、身分証明書cart d'identiteを所持するすべてのアルジェリア人は、アルジェリアとフランスとの間を自由に交通することができる。

なお、フランスに居住するアルジェリア国民、特に労働者は、政治的権利を除き、フランス国民と同様の権利を有するとされた(経済及び財政協力に関する原則の宣言第七条)。

フランスに居住しているアルジェリア国民は、一六歳を過ぎるまでは居住証明書を要求されない(同第五部)。

居住証明書は、居住地及び職業を記載して発給される(議定書第四部)。

この居住証明書は、フランス全領土において、俸給をうける若しくは俸給をうけるのではないすべての職業活動を行うことを認める。

この居住証明書の有効期間は、最低五年間とされており、この期間について、アルジェリア人は、職業・移動の自由等参政権以外、フランス国民と同様の権利と保護が認められている。

以上のとおり、フランス、イギリス両国は旧植民地国の国民が、旧宗主国で生活を営んできた事実と歴史的経過にかんがみ、彼らに旧宗主国居住について権利性を認めている。

(3) 旧植民地国民の定住者

アメリカに定住するフィリピン人等その他の旧宗主国における旧植民地国民の定住者に対する取り扱い及び、英仏両国における在留許可申請に対する基本的考え方や運用実情については、今後更に立証する予定であるが、右に述べた事実にかんがみても、諸外国においては、旧植民地の国民で旧宗主国に定住して生活を営む者について、これを他の一般外国人と同様に扱って、差別的な処遇によって不安定な地位や生活を強いることを避けていることは明らかである。

換言すれば、国籍は当該国民と外国人の二種類に限定されるものではない。当該国民や外国人に準じて扱われるべき者が、各国の歴史的過程の中で存在することは、むしろ一般的な扱いなのである。

また、外国人についても、その処遇が一律でなければならない理由は全くない。各国特有の歴史的過程で生じた特殊事情により、一定範囲の旧植民地の外国人について、特段の取扱いをなす国際的慣行が厳に存在するのである。

3 戦後日本政府の差別政策

(1) 在日朝鮮人の国籍に関する解釈

戦後日本政府はGHQの指導下にありながらも、在日朝鮮人を一律外国人として日本国民から差別し、その外国人管理政策下におくことを策した。

一九四九年一一月一六日、参議院本会議において、殖田俊吉法務総裁は吉田首相の答弁を補足して次のように述べた。

条約締結までは日本国籍をもっており、外国人登録令では外国人としてみなしていること、「併しながらこれは講和条約の決まりますまでは止むを得ざることでありますので、講和条約の決まりません前に、朝鮮人の国籍をどうするかということは、でき難いことと考えております。

ところが、一九五一年一〇月二〇日、衆議院条約委員会において、西村条約局長は初めて一律国籍「回復」の解釈を打ち出して次のとおり述べた。

「日本におきます朝鮮人の国籍には何ら規定がない点でございます。この点につきましては、この条約草案に対して意見を求められました際に、日本政府としては、第二条(a)の規定によって朝鮮の独立を承認する。すなわちかつて存在した独立国であった朝鮮が、独立を回復した事実を承認するという趣旨である。従って日本における朝鮮人は、いわゆるその父祖ないし自分が合併当時に持っておりました朝鮮人国籍を、当然回復するものであるという考えでこの規定を了承しますという趣旨の条章であります。」

更に大橋法務大臣は次のように右委員会で答弁した。

朝鮮人が韓国か北朝鮮かどちらの国籍を持つべきかは「日本政府において強制とかなんかという問題を生ずる余地はない」、在日朝鮮人は外国人として扱うが「その外国人がいかなる国籍を持っておるかということは、その人とその本国との関係によってきまる問題で」、として外国の国内問題だと西村局長の見解を繰り返した。

(2) アメリカ政府の指針

この問題のむつかしさはGHQ当局も十分認識し、アメリカ政府も頭をいためていた。一九四八年八月一六日完成したアメリカ政府外交局による「在日朝鮮人に関するスタッフ研究」には、次のように述べている。

「これらの主要関係国政府――米国、朝鮮、日本――の観点からみると、可及的に多数の在日朝鮮人が朝鮮に引き揚げることは非常に望ましいことである。日本人とほとんど同化することなく、日本人との危険な摩擦を引き起す源である多くの在日朝鮮人は、極東における重大な不安定要因であり、かつ、日本における主要占領国としての米国に対する好ましからぬプロパガンダの原因となっている。朝鮮の観点からみると、在日朝鮮人は人的資源の点からも、また日本で取得した技能と財産の点からも、朝鮮にとって潜在的な価値ある財産なのである。このグループの同化は朝鮮においてもたやすくはないと思われるが、日本での同化よりは比較にならないほど容易であろう。日本の立場からみると、在日朝鮮人は戦争で疲弊した日本経済に重くのしかかり、税の納入または建設的努力にほとんど寄与しないという点から、完全な負担でしかない。」

しかし強制送還は、「朝鮮人の側に激しい対米感情の悪化をもたらすことになろうし、日本および朝鮮双方において困難な財政的・社会的調整が必要となるであろう。」

そして国籍問題については、「日本に残留している朝鮮人は、日本法上日本国民であると同時に、そのほとんどは南朝鮮臨時政府の法律第一一号(朝鮮国籍法)に基づき朝鮮国民でもある。従って在日朝鮮人のほとんどは二重国籍の地位、すなわち、日本国籍と朝鮮国籍をすべて有するか、あるいは、容易に取得し得るものと思われる。SCAPが在日朝鮮人に対して排他的に日本国籍を強いたり、在日朝鮮人の国籍に関する朝鮮=日本間の将来の条約による解釈を妨げるような如何なる態度もとることも望ましくないように思われる。国籍といったような非常に重要かつ、長期に渡って意味をもつ問題に関して、占領軍当局が現時点で国籍を最終的に決定するよう主張することは望ましいものでないだろう。」

このように治安政策等の見地からは、在日朝鮮人の日本からの送還が望ましいとしても、その国籍については「朝鮮=日本間の将来の条約」による確定が当然のこととして予想されており、それまでは留保されるべきであるとしているのである。

4 在日朝鮮人・韓国人の国籍上の地位

(1) 日本政府の国籍処理の問題点

日本政府は、韓国・共和国との交渉や条約締結をすることなく、また両国の自律的国籍法の運用をふまえることなく、一方的に講和条約によって在日朝鮮人はどちらかの国に国籍が戻ったという解釈に立った。GHQや米政府の国際法をふまえた基本方針さえ無視して、強引に在日朝鮮人を外国人として扱う運用を強行したのである。

しかしながら、このような解釈が講和条約によっても合理的になしうるものではないことは明白である。また、憲法一〇条の予定する法律によらず「解釈」によって国民の範囲を画することが憲法に反するものであることは当然である。

国際法上も、新たに独立した両国との条約さえないまま、また両国の国籍法との整合性に配慮することのないまま、在日朝鮮人を「外国人」としてしまう政府の「解釈」(法律でさえない)が、異常なものであり、国際法に反するものであるのは、明らかであろう。

(2) 上告人の在留上の地位

このような諸事実に踏まえれば、上告人が日本国籍を有するか否か、外国人として取扱われるべきか否かについては、現時点ではなお法律や条約で確定していないものである。

仮りに上告人を「外国人」とするのであれば、前述したような立場と歴史的経過を有する上告人と日本国との関係においては、少くとも上告人を「外国人」であるとの理由をもって、一般外国人と同様に、日本人に比べて不利益な立場や生活を強制し、あまつさえ三年の在留期間を一年に短縮して不安定な地位におくことは入管法の解釈や運用上も許されないものである。

六 法の下の不合理な差別

上告人が前述の如き歴史的経過で「外国人」の地位に立たされていることだけの理由をもって日本国政府が上告人をその信条や政治的社会的活動をもって不利益に取扱うことが無限定に許されるものではない。

上告人はかつて日本人であった父の子であり、日本人と全く同様に日本に生れ育ち、日本以外の言語を語らず、日本以外に全く社会的関係を有することがなかった。しかも、このような事態に至った最大の理由は、戦前の日本の韓国・北朝鮮統合政策(朝鮮半島侵略)の帰結である。

このような上告人に対し、単に指紋押捺を拒否したという罰金にさえ処せられることもない極めて軽微な事由をもって、その在留資格について不利益を強いることは憲法一四条に反する。

更に、押捺拒否を理由とした本件処分は憲法一四条に定める「人権・信条」を理由に「政治的(中略)社会的関係において」差別したものであって、その差別には全く合理性がない。

即ち、上告人が指紋押捺を拒否したのは、押捺制度が歴史的社会的に日本民族と差別的に処遇されてきた在日韓国・朝鮮人に対する差別的取扱いの抽象的制度であり、上告人の良心からしても応じがたいものであったからであった。

よしんば日本人がその政治的信条や良心に基づいて軽微な法律違反にわたる行為を犯しても、このことをもって住居の自由や希望する場所に移動する自由を奪われ、またこのような自由を危険にさらされることはありえない。

このような政治的信条に出た具体的行為を理由に、上告人に対して行った在留期間の短縮の如き処分は、少なくとも日本人については考えられないことである。上告人の父母の日本に入国、滞在したいきさつや上告人の出生、成長の経過いかんがみるに、上告人について、彼が「外国人」であるという形式的理由をもって、前記の如き「社会的関係において」不利益を強いられる処分を強行することは憲法第一四条一項に違背するものと言わねばならない。

第二 マクリーン判決引用の誤り

―入管法二一条三項の解釈の誤り

一 原判決の判断

1 原判決は、本件処分について法務大臣が広汎な裁量権を有し、その裁量の誤りがないと判示するにあたって、次のように述べて、いわゆるマクリーン判決が本件においても該当するとした。

「法務大臣は、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)二一条三項の在留期間の更新の申請があった場合、右更新の許否を決定するにあたっては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の観点から、申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしゃくし、時宜に的確な判断をしなければならない必要上、広汎な裁量権を有するものである(最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決、民集三二巻七号一二二三頁参照。)。」

2 このようにマクリーン判決を採用した判断は、一審判決が、上告人の在留を許可するかどうかは「入国の拒否の問題と変わるところはなく、」国家の自由な裁量に委ねられていると判示したことと軌を一にしている。なおマクリーン判決は、この点につき次のように判示している。

「憲法上、外国人は、わが国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、……外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではな〔い〕」。

二 入国の許否と在留の許否

しかしながら、「基本的人権を保障する立憲・法治国家においては、一旦入国を許された外国人は正当な人権行使を理由とする不時の退去強制を受けるべきでない」との理が妥当する(斉藤靖夫「外国人の政治活動の自由―マクリーン事件」憲法判例百戦Ⅰ〔第二版〕一四頁)。そして、上告人のように更新を幾度も重ねている在留者の場合には、その生活の本拠は既に日本に在るのであるから、在留更新の許否は当人の生活を窮地に立たせることになるわけであって、更新許否には格別の理由が必要とされる。まして、上告人のような、わが国が責を負うべき歴史的経緯を背景にして在日する韓国人・朝鮮人の場合は、協定永住者や特例永住者の範疇に属さない人々についても、更新を許可することがむしろ原則とされるのでなければならない。

上告人は、本件の短縮処分によって、就職上不利な地位に置かれ、各種資金の融資を受けることが困難になり、一年を超える海外渡航が実質上不可能となるなど実生活上様々な不利益を蒙った。また、将来も日本において生活・職業を営もうとする上告人のような定住外国人にとっては退去強制を受けたに等しい困難を負うことになるのである。それらの事態が生起しうることは容易に推認できるところであり、そして、この事態を免れることを求める上告人の地位は、少なくとも、マクリーン判決におけるマクリーンさんとは全く質的に異なった法的地位にあったことが明白である。

このような観点からして、原判決がマクリーン判決を引用して、前記広汎な裁量論の立場をとったことは明らかに判例の解釈を誤った法令違反がある。

三 「国際慣習法」の存在についての判断の誤り

1 原判決のマクリーン最高裁判決を引用しての前記判断は、マクリーン判決にいう国際慣習法の存在についての右最高裁判決を曲解するものと言わねばならない。

右判決は、

「国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができるものとされている。」

と判示している。

第一に、右判決は、国家間の人民の移動が量的にも質的にも拡大し、交通事情の発展等に伴い、急速に変貌をとげたここ数年間の国際社会の実情を知らない時代(昭和五三年)の判決である。更に、国際人権規約が批准され、「難民の地位に関する条約」が発効し入管法自体が大きく改編された昭和五七年以前の判決である。

第二に、右判決は、「特別の条約がない限り」と限定を付けている。

日本と韓国との間には、過去の両国間の歴史をふまえ、在日韓国人については、「特別の条約」関係がある。また、すでに詳論したように、在日韓国・朝鮮人については、その在留資格について、国・法務大臣は戦後常に特段の配慮を要求され、現に様々な形で特別の取扱いを実施してきた。従って、在日韓国・朝鮮人の日本在留に関しては、右最高裁判決に照らしても特段の配慮が要請される。

右二点にてらして考えれば、前記マクリーン事件の最高裁判決を仮に前提としたとしても、上告人について、その在留期間の更新申請に対する処分について「当該国家が自由に決定することができる」(右最高裁判決により引用)とするのは誤りである。むしろ在日韓国・朝鮮人の在留許可決定については、その裁量権の行使に重大な制約があると言うべきである。

四 国際化に伴う「国際慣習」の変遷

1 現代社会が急速に国際化しつつあることは、誰しも争わないところであろう。

国際化とは、自らとは異なる他の国家・民族あるいは人々との交わりないしは関係を頻繁且つ緊密にすることを意味することもまた争いの余地があるまい。

現代の国際社会は、人及び物資の交流が、質的にも量的にも拡大し緊密化して、あらゆる分野において国家・民族間の相互依存度が、日を追うごとに深まっている。

2 このような事態の中で、日本は、マクリーン事件最高裁判決の翌年である一九七九年(昭和五四年)、いわゆる国際人権規約を批准した。右規約は、わが国においても、同年九月二一日から効力が発生した。

右規約は、「経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約」(以下「A規約」という)と「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下「B規約」という)といわゆる議定書からなっている。

この規約の発効によって、我が国における外国人の権利や出入国管理についての基本的理念は明確に変更・改善された。

(一) まず、人権規約は、国籍による差別的取扱いをAB両規約で禁じた(A規約二条2項、B規約二条)。特にB規約二六条第二文では「法律は、あらゆる差別を禁止し、……政治的意図その他の意図、国民的著しくは社会的出身……出生……のいかなる理由による差別に対しても平等の且つ対身的な保護をすべての者に保障する」と規定した。

(二) この国籍や出生等による差別の禁止は、更に実質的に次の諸規定によって実態のあるものとして保障されている。人権規約は、各種の人権をすべての人間、つまり外国人であると否とを問わず広く保障することによって、国籍の如何にかかわらず保護されるべき権利が認められるべきことを規定している。このことによって、我が国に多数存在する在日韓国・朝鮮人の権利保護は、あらゆる面で再検討されるべきこととなったのである。

すなわち、A規約一一条1項は次のとおり規定した。

「この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める。締約国は、この権利の実現を確保するために適当な措置をとり、このためには、自由な合意に基づく国際協力が極めて重要であることを認める。」

そして、この人間たるに値する生存及び幸福な生活を確保するための権利を実現すべく、A規約六条ないし八条に労働に関する権利、九条の社会保障を受ける権利、一〇条の母性・児童の保護を受ける権利、一二条の健康権、一三・一四条の教育権、一五条の文化的生活権などが、すべて外国人について保障された。

これらの諸規定は、外国人であると日本人であるとを問わず、人間としてその帰属する社会で、労働して生活の糧を得ることによって、身体・精神両面についての健康を確保する権利を保障している。

従って、日本国内に居住する外国人について、日本国の事情によりほしいままに国外に追放して生活の基盤を奪うことや、在留期間を相当の理由なく短縮して長期間日本に生活する外国人の生活環境に不安と動揺を生ぜしめるような政府の行為は、右人権規約の趣旨に反することが明らかである。

(三) そして、本件との関係で直接に関連するのが、B規約一三条である。同条は次のとおり定めている。

「合法的にこの規約の締約国の領域内にいる外国人は、法律に基づいて行われた決定によってのみ当該領域から追放することができる。国の安全のためのやむを得ない理由がある場合を除くほか、当該外国人は、自己の追放に反対する理由を呈示すること及び権限のある機関又はその機関が特に指名する者によって自己の事案が審査されることが認められるものとし、このためにその機関又はその者に対する代理人の出頭が認められる。」

(1) この規定は、一旦日本国内に在留を認められ、国内に生活基盤を得た者について、ほしいままに外国に追放されない権利を保障するものである。一旦入国を許した外国人の追放とたんなる入国拒絶を同列に論ずることはできない。一旦入国した外国人はそこでさまざまな生活関係を築いている可能性があり、受入国が、同人の生活関係に基づく利益を無視して、ささいな理由によって同人を国外追放できるようでは、外国人の生活関係は砂上の楼閣にも等しい不安定なものとなってしまう。前(二)項に述べた諸権利も、日本国内にとどまる権利が認められてはじめて実現出来るものであり、原告ら日本に定住する外国人にとって、極めて切実な権利と言わねばならない。

(2) 右規定中の「法律に基づいて行われた決定」とは、右決定が、法律に定められた「正当な理由及び適正な手続きに拠ってなされるべきことを定めたものである」ことは、名古屋地判昭和四五年七月二八日・訟務月報一六巻二号一四五三頁が判示するとおりである。

そして、この「正当な理由」の内容が、少なくとも人権規約に定められている前記の諸権利を不当に侵害するものであってはならないことは当然である。

更に、B規約七条の非人道的取扱の禁止規定及び同二三条1項の家族の保護に抵触するものであってはならない。

(四) このように国際人権規約は、日本国内に生活基盤を確立している外国人について広くその人権を保障し、これを不当に侵害するような国外追放を禁止しているのである。

従って、前記マクリーン事件最高裁判決において指摘されている「国際慣習法」の内容は、一旦日本国内に受け入れた外国人をどのように処遇するかについて、人類としての普遍的権利を保障する観点から、重要な変化をとげているのである。すなわち、生活基盤を奪ったり、在留期間をほしいままに短縮して生活基盤に不安と混乱を生ぜしめるような政府の行為について、これを抑止する趣旨が包含されている。

3(一) 更に、一九八一年(昭和五六年)、日本は「難民の地位に関する条約」に加入して、従来の政策を大きく変更した。すなわち、他民族の日本への移住を、少なくとも難民については広く認める方向に転換するに至ったのである。

右条約加入によって、外国人の入国には旅券所持を要件とし、それに反して入国しようとすれば、不法入国・不法在留として刑事処罰の対象にしていた入管行政は大きく変貌をとげた。

(二) 右難民条約三三条一項は次のとおり定めている。

「締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない」

そして、難民条約加入に伴って同年に改正されて法律の名称も「出入国管理及び難民認定法」に変更された法二四条は、送還先を限定した。

こうして、「外国人を自国内に受け入れるかどうか」を自国で決し得るという前記マクリーン判決で指摘された「国際慣習法」は、更に変貌をとげたのである。

4 右に述べた国際条約の効力の発生と共に、社会の実情も大きく変化した。

すなわち、マクリーン事件最高裁判決当時の一九七八年(昭和五三年)、日本国内に居住する外国人も急速に増加し、我が国内の経済・社会・文化において、重要な要素を占めるに至った。逆に、海外に旅行する日本人や海外に在留して経済活動や日常生活を営む日本人も飛躍的に増加した。

このような国境を越える人々の増加は、単に量的増加にとどまらず、すでに日本国が、多数の外国人の日本滞在を前提とする社会に質的に転換し、また日本国が、多数の外国滞在の日本人によってはじめて国際社会における共存国家として存立し得るに至っていることを示している。

5 そもそも、一九七八年(昭和五三年)に最高裁がマクリーン事件判決において、「国際慣習法」の存在を認めた時点においても、その説論の具体的根拠はまったく述べられておらず、一切の論証まで極めて唐突に指摘されたのであり、それ自体に対する批判も多かった。

しかし、その後、国際化の大きなうねりと国際人権規約・難民条約の効力発生により、前記マクリーン事件最高裁の立場は、すでに実態と法的側面の両面において破綻したものと言わねばならない。

本件訴訟において、原判決がマクリーン事件判決を持ち出すのは、すでに効力を失った古証文を持ち出すに似た誤りを犯すものである。

五 在日韓国・朝鮮人の在留権について

1 一九四五年八月、第二次世界大戦後も、日本国内に居住する「朝鮮人」や「台湾人」は、我が国の法律上、日本国籍を有する扱いをされた。

戦後しばらくの間、これらの人々の相当数が朝鮮に集団引揚を実施された。しかし、なお日本に残った在日朝鮮人について国籍問題は我が国の法律上生じる余地もなく、在留資格が問題にされることもなかった。

2 入管法の前身たる出入国管理令は、サンフランシスコ平和条約発効前の一九五一年一〇月に制定された。当時、在日韓国・朝鮮人は日本国籍を有するとされており、右入管令は日本国籍を有する在日韓国・朝鮮人には適用されなかった。

従って、入管令制定当時、同令の適用対象には、上告人らのような日本に定住する在日韓国・朝鮮人は該当していなかった。

3 サンフランシスコ平和条約の発効に伴う一片の法務省通達によって、日本に定住する在日韓国・朝鮮人は、すべて日本国籍を失うことになった。しかし、彼らの日本に在留する資格については、右平和条約以前に日本国籍を有していた者とそれ以外の外国人の間で、その取扱いに画然たる違いがあった。

4 一二六―二―六該当者や特定在留者(四―一―一六―二該当者)が典型的である。

また、右のように戦前戦後をとおして一貫して日本に在留した在日韓国・朝鮮人もしくはその子供以外の者についても、一九五四年七月一四日衆議院法務委員会決議や、同年九月二日の入管局局長の国会答弁、一九六五年法務大臣声明等からも明らかなように、長く日本に在留する韓国・朝鮮人や台湾人については、他の外国人と異なる扱いをしてきた。

5 更に、一九六五年の日韓地位協定の発効に伴って、我が国は、在日韓国人について他の外国人と異なる取扱をすることとなった。

6 これらの歴史的・社会的背景や、在日韓国・朝鮮人についての他の外国人と異なる特別の裁量権行使の実情の推移についてはすでに詳論したが、上告人ら在日韓国人に関する限り、前期マクリーン判決に言う「特別の条約」があるため、我が国がこのような立場の人々を「受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するか」について、自由裁量により決することができないことは明らかである。

六 まとめ

以上述べてきた種々の観点からするに、原判決が容易にマクリーン判決を援用して、本件訴訟に広汎な裁量論の立場を取ったことは重大な誤りである。

少なくとも、本件について、かかる裁量論を前提にして上告人の請求を全て棄却した原判決は改められるべきである。

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